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福島地方裁判所 昭和50年(ワ)272号 判決 1985年12月02日

原告

遠藤幸雄

右法定代理人親権者母

遠藤ツヤコ

原告

遠藤ツヤコ

右両名訴訟代理人

安田純治

大学一

鵜川隆明

小野寺信一

脇山弘

脇山淑子

沼沢達雄

右大学一訴訟復代理人

橋本保夫

被告

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

岡田宗治

右訴訟代理人

饗庭忠男

安斎利昭

主文

被告は、原告遠藤幸雄に対し金一五一二万三二九三円、原告遠藤ツヤコに対し金二二〇万円及び右各金員に対する昭和五〇年一〇月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、原告遠藤幸雄が金五〇〇万円、原告遠藤ツヤコが金七〇万円の各担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告遠藤幸雄(以下「原告幸雄」という。)に対し金三六八一万一〇四二円、原告遠藤ツヤコ(以下「原告ツヤコ」という。)に対し金三三〇万円及び右各金員に対する昭和五〇年一〇月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告幸雄は、原告ツヤコの長男であり、被告は、疾病治療、苦痛軽減、健康増進等の業務を行うことを事業として、福島市内で病院を経営し、小児科医等を雇用して、医療行為に当たらせているものである。

2  原告幸雄の失明

原告幸雄は、昭和四六年一〇月一九日午前六時三〇分、渡部産婦人科医院(以下「渡部医院」という。)において在胎八か月で出生し、生下時体重が一六五〇グラムの未熟児であつたため、同月二〇日午後三時被告の経営する病院(以下「被告病院」という。)へ転医され、保育器(以下「本件保育器」という。)に収容されて保育、看護を受け、同年一二月二〇日退院したが、その後、未熟児網膜症(以下「本症」という。)により両眼とも失明していることが判明した。

3  原告幸雄の症状と診療経過

(一) 渡部医院において

(1) 昭和四六年一〇月一九日

出生当時、原告幸雄の児心音は明瞭であつたが、その後、一度仮死状態となつた後、蘇生し、チアノーゼが著明のため保育器に収容され、酸素二五〇リットルを投与された。

(2) 同月二〇日午後三時まで

時々チアノーゼがあり、酸素二五〇リットルを投与された。

(二) 被告病院において(以下の診療を、以下「本件診療」という。なお、(1)から(15)までの診療は産科医小笠原二郎(以下「小笠原」という。)が担当した。)

(1) 同日午後三時から同月二一日まで

元気不良、啼泣力不良、哺乳力不良、四肢チアノーゼ。酸素毎分六リットル(濃度四五パーセント)投与。

(2) 同月二二日

元気不良、啼泣力不良、哺乳力不良、弱いチアノーゼ、全身浮腫、体重一六〇〇グラム。酸素毎分四リットルに変更。

(3) 同月二三日から同月二八日まで

元気不良、啼泣力不良、哺乳力不良、チアノーゼなし。酸素同続行。

(4) 同月二九日

元気不良、啼泣力不良、哺乳力不良、四肢チアノーゼ、体重一四五〇グラム。酸素毎分六リットルに変更。

(5) 同月三〇日

元気不良、啼泣力不良、哺乳力不良、チアノーゼなし、体重一四五〇グラム。酸素同続行。

(6) 同月三一日及び同年一一月一日

哺乳力不良、チアノーゼなし。酸素同続行。一一月一日の体温三八度ないし三八・五度。

(7) 同月二日

哺乳力不良、四肢チアノーゼ、体重一六〇〇グラム。酸素同続行。

(8) 同月三日から同月五日まで

チアノーゼなし。酸素同続行。

(9) 同月六日

体動時にチアノーゼが現われた、体重一六〇〇グラム。酸素同続行。

(10) 同月七日から同月一〇日まで

チアノーゼなし、同月八日に体重が一六五〇グラム(生下時体重と同じ)に戻り以後順調に増加した。酸素同続行。

(11) 同月一一日

体動時にチアノーゼが現われた。酸素同続行。

(12) 同月一二日から同月二七日まで

チアノーゼなし。同月一二日に浮腫あり。酸素同続行。

(13) 同月二八日

元気不良、チアノーゼなし。酸素を毎分三リットル(濃度三八パーセント)に変更。

(14) 同月二九日から同年一二月一〇日まで

チアノーゼなし。同月四日自力で哺乳できるようになつた。同月八日から同月一〇日まで日中のみ保育器から出した。酸素同続行。

(15) 同月一一日から同月二〇日の退院まで

チアノーゼなし。酸素投与中止。

(16) 昭和四七年一月一〇日頃、原告ツヤコが原告幸雄の目の異常に気づき、原告幸雄は同月一三日、同月三〇日、同年二月一日、被告病院の小児科外来で診察を受けたが、担当医師は「未熟児だから遅れている。心配いらない。」旨言い、別段眼底検査についての告知も指示もしなかつた。

(三) 同年三月四日頃、原告幸雄は、福島県立医科大学附属病院(以下「県立医大病院」という。)の加藤桂一郎医師の診察を受け、視力の回復は困難とされ、本症に罹患した疑いがある旨診断され、同月二四日頃、東北大学医学部附属病院以下「東北大病院」という。)山下由紀子医師の診察を受け、本症によつて両眼とも失明していると診断された。

4  本症に関する医療の現状

(一) 本症に関する研究の歴史的経緯

(1) 欧米

アメリカ合衆国では、一九四〇(昭和一五)年頃から保育器が普及し、その頃から本症が発生し始め、本症に関する研究が行なわれるようになり、テリーが一九四二(昭和一七)年、本症を「後水晶体線維増殖症」と命名し、オーストラリアのキャンベルが一九五一(昭和二六)年、本症の発生率が保育器で与えられた酸素濃度に影響されることをつきとめた。一九五三(昭和二八)年アメリカ合衆国のキンゼイらが共同研究を行ない、その研究結果を一九五五(昭和三〇)年に発表したが、これによると、酸素を二八日間続けて濃度五〇パーセント以上与えた児の群における本症の発生率は、小児科医が必要と認めた時だけ濃度四〇パーセントないし五〇パーセントを与えた児の群におけるそれに比べ二倍であつたこと、多産児(双子、三つ子等)が単産児よりも発症率が高いこと、体重の軽い児ほど発症率が高いこと、酸素投与の期間が長くなる場合には酸素濃度が高いほど発症率が高いことが認められた。一九五四(昭和二九)年アメリカの眼耳学会において、新生児保育に当たり、酸素使用を厳しく制限すべきことが要請されるなど、以後、欧米では本症を発生させないための予防措置として、酸素の厳密な管理が行なわれるようになり、その結果本症の発症が激減した。

(2) 日本

我国における本症の研究は、昭和二四年三井幸彦が本症の事例を発表して以来、欧米における研究を参考にしながら進められ、医学雑誌、医学教科書等に掲載された研究報告において、本症と酸素との関係が指摘され、予防法として酸素管理を厳格に行なうこと、定期的眼底検査によつて早期に本症の発症を発見すること、小児科、産科、眼科の協力体制が必要であることなどが強調された。他方、本症に対する治療法として、昭和四二年、天理よろづ相談所病院(以下「天理病院」という。)の永田誠医師(以下「永田」という。)が光凝固法を初めて試み治療に成功し、また昭和四五年東北大病院の佐々木一之医師らが冷凍凝固法を試み成功した。右各法について他の多くの研究者らによつても追試がなされ、その有効性が確認された。

(二) 本症の発生原因

本症は、保育器内の酸素の過剰投与や長期間に亘る投与などを原因として発生する。

(三) 本症の発生機序

胎児の網膜は、胎生三か月までは無血管の状態にあり、四か月頃血管形成が始まる。胎生五ないし六か月頃には血流が認められ、胎生八か月頃に血管が鋸歯縁に達する。したがつて、例えば、在胎七か月で出生した未熟児は網膜前方がまだ無血管の状態にあり、出生後も血管の発達が続く。このような発達途上にある血管は酸素に対して極めて敏感に反応するため、網膜血管が高濃度酸素環境に置かれると強く収縮し、初めは細小動脈や動脈側の毛細血管の収縮、血流停止が起こり、次いで毛細血管全体の収縮、ついには動脈及び静脈の血流停止を起こす。この状態が長く続くと血管閉塞は不可逆となり、空気中に戻しても回復しなくなる。そして右血管閉塞の結果その部分の網膜が虚血の状態となり、低酸素症に陥る。そのため空気中に戻すと残存している血管の囲りに血管の新生と増殖が起こり、網膜周辺部では硝子体内部にまで血管が増殖していく。さらに進行すると、太い血管からの滲出が起こり、硝子体内へも滲出、出血し、これが瘢痕収縮して、網膜剥離を起こし、失明に至る。

(四) 本症の臨床経過

(1) オーエンスは一九五五(昭和三〇)年、本症の臨床経過を活動期、回復期、瘢痕期の三期に大別し、活動期の病変をさらに次の五期に分類した。

第Ⅰ期(血管期) 網膜血管の迂曲怒張によつて特徴づけられる。

第Ⅱ期(網膜期) 網膜周辺に浮腫、血管新生が見られ、硝子体混濁、出血、周辺網膜に限局性灰白色の隆起が出現する。

第Ⅲ期(初期増殖期) 限局性網膜隆起部の血管から血管発芽が起こり、硝子体内へ新生血管を伴なう組織増殖が始まり、周辺網膜に限局性網膜剥離が起こる。

第Ⅳ期(中等度増殖期) 新生組織の増殖が中等度となる。

第Ⅴ期(高度増殖期) 網膜全剥離、大量の硝子体出血などが起こる。

以上の病変は、生後三週間から五週間で始まり、生後六か月頃には瘢痕期に移行する。瘢痕期とは、進行した病状が固定化する時期をいうが、その程度によつてさらにⅠ度からⅤ度までの五段階に分けられ、水晶体後部に組織塊が形成される。瘢痕期Ⅳ、Ⅴ度に至つたものは失明が確定的となる。回復期とは、病変の進行がある時点で停止し自然治癒に向つて反転進行する時期のことで、本症の大部分はある時点で自然に止まり治癒する。

(2) 厚生省特別研究費補助金昭和四九年度研究班報告「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」(以下「昭和四九年度研究班報告」という。)は、本症における臨床経過、予後の点から、これをⅠ型とⅡ型に大別分類した。

(ア) Ⅰ型の本症

主として、耳側周辺に増殖性変化を起こし、検眼鏡による観察において、血管新生、境界線形成、硝子体内滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離へと段階的に進行する比較的緩徐な経過を辿るものであり、自然治癒傾向の強い型である。その臨床的分類は次のとおりである。

第1期(血管新生期) 網膜周辺、ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管領域で蒼白に見える。後極部には変化はないが、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

第2期(境界線形成期) 周辺、ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には血管の迂曲怒張を認める。

第3期(硝子体内滲出と増殖期) 硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡により認められる時期であり、後極部にも血管の迂曲怒張を認める。硝子体への出血を認めることもある。

第4期(網膜剥離期) 明らかな牽引性網膜剥離の認められるもので、耳側の限局性剥離から全周剥離までが含まれる。

(イ) Ⅱ型の本症

主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼に起こり、初発症状は血管新生が後極寄りに起こり、耳側のみならず鼻側にも見られることがあり、無血管領域は広く、その領域はヘイジイ・メディアで隠されていて不明瞭であることも多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり滲出性変化も強く起こり、Ⅰ型と異なり、段階的経過を辿ることが少なく、比較的急速に網膜剥離へと進む。自然治癒傾向が少ない予後不良型のものである。

(ウ) 混合型の本症

右分類の他に、極めて少数であるが、Ⅰ型とⅡ型の混合型ともいえる型の本症がある。

なお、昭和四九年度研究班報告は、本症の瘢痕期の程度について、次のように分類した。

1度 眼底後極部には著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化の見られるもので、視力は正常のものが大部分である。

2度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は視力が良好であるが、黄斑部に病変が及んでいる場合は種々の視力障害を示す。しかし日常生活は視覚を利用して行なうことが可能である。

3度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管が取り込まれ、襞を形成し周辺に向つて走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は〇・一以下で弱視又は盲教育の対象となる。

4度 水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領より見られるもので、視力障害は高度であり、盲教育の対象となる。

(五) 本症の治療法

(1) 光凝固法

一般に、光凝固法とは、眼球外囲組織に何ら損傷を与えることなく、単に屈光中間体を通して射入される検眼鏡の光束を網膜のある箇所に集光してその熱で当該部分を蛋白凝固するという方法であり、以前から網膜剥離を初めとする多くの眼疾患に対する治療法として確立している。永田は昭和四二年三月及び五月、各一例の本症に対して光凝固法を初めて応用し、劇的な成果を収めた。他の多くの研究者らも、同法による本症の治療効果を追試し、その有効性が確認され、同法は本症の治療法として広く全国各地に普及した。昭和四九年度研究班報告も、光凝固法が本症の治療法として有効であることを確認するとともに、Ⅰ型の本症は自然治癒傾向が強いので、第2期までの病期のものに治療を行なう必要はなく、第3期において更に進行の徴候が見られる場合に光凝固をなすべきであるとし、他方、Ⅱ型の本症に対しては、早期に光凝固法を実施すべきであるとしている。

光凝固法の本症に対する奏功機序は、次のとおりである。

本症によつて血管が増殖して網膜内に境界線が形成されるが、その境界線の中に異常増殖した内皮細胞とその先端部にある紡錘型細胞を光凝固によつて破壊して、その数を減じ、血管増殖に対する生化学的な異常刺激を鎮静することによつて網膜血管発育過程中での狂いを矯正するものである。

(2) 冷凍凝固法

冷凍凝固法も以前から、眼科、脳外科、皮膚科や産婦人科において種々の疾患に対する治療法として利用されていたが、東北大病院の佐々木一之医師及び山下由紀子医師らが昭和四五年一月、本症に対する治療法として冷凍凝固法を実施して成功した。その後他の多くの研究者らによつて追試がなされ、同法も直ちに全国各地の医師によつて本症の治療法として実用化された。昭和四九年度研究班報告は、冷凍凝固法についても光凝固法と同様の評価をなし、適応範囲も同様としている。冷凍凝固法の本症に対する奏功機序も、光凝固法と同様であり、ただ、この場合は、光の代わりにマイナス五〇度ないしマイナス七〇度に冷却した網膜用ペンシルを用いるものである。

(六) 眼底検査

未熟児に対する定期的眼底検査の実施は、(1)本症の発症を早期に発見し、適切な治療を行なうため、及び(2)未熟児の眼底の状態の個体差を把握し、酸素管理によつて本症の発症の予防及び自然寛解を促すために必要欠くべからざるものである。未熟児の眼底検査は、昭和三八年以前から行なわれていたもので、当初は主に本症の病態、臨床経過を観察することを目的としていたが、昭和四〇年以降になると、本症の早期発見及び酸素管理等による早期治療のために必要であるとされ、特に光凝固法や冷凍凝固法が普及するに及んで、右各法による治療の適期を知るために極めて重要な意義を有するようになり、未熟児保育で必須のものとされるに至つた。そして定期的眼底検査を実施するために、産科、小児科、眼科の協力連携の必要性が強調されている。昭和四四年頃からは、定期的眼底検査は、通常生後三週間から四週間の間に第一回目を行ない、その後一週間毎に一回又は二回の追跡検査を行なうべきであるとされた。眼底検査の方法は、あらかじめ充分散瞳したうえ、開瞼器で開瞼し、倒像検眼鏡で眼底検査をするものである。眼底検査に要する時間は約一〇分以内であり、保育器内で酸素を投与中の場合でも実施可能である。

5  被告の責任

(一) 担当医師の過失

(1) 本件診療当時(昭和四六年一〇月から昭和四七年二月まで)の医療水準

(ア) 酸素管理

酸素が本症の原因であることについて、本件診療当時異論はなかつた。そして、特に酸素濃度と投与期間が大きな影響を与えることが指摘されていた。すなわち、未熟児に対する酸素の投与はチアノーゼや呼吸障害の強い場合に必要最小限度の量及び期間に限つて行い、かつ酸素濃度は四〇パーセントを超えないようにすべきであり、また、酸素濃度を四〇パーセント以下に抑えた場合でも、長期間投与すれば本症発生の危険性が高いため、チアノーゼや呼吸障害が消失した場合には、酸素投与をすみやかに中止することが必要であること、酸素療法中は保育器内の酸素濃度をしばしば測定し、記録しておくべきことが、本件診療当時の医療水準となつていた。

(イ) 光凝固法、冷凍凝固法

光凝固法は昭和四二年頃から本症に対し実施されて以来、各地で相次いで本症に対する適応について追試が行なわれ、医学文献上にその成果が多数発表され、東北地方においても昭和四五年一月以降行なわれていた。冷凍凝固法は昭和四五年一月から東北大病院において実施されていた。

もともと光凝固法は、本症に対して用いられる以前の昭和四〇年頃から全国各地で成人における網膜剥離等に対する治療法として用いられ、光凝固装置が同年から昭和四二年頃にかけて、各地の国公立病院に備え付けられ、各都道府県に少なくとも一台は普及していたため、格別の装置、設備の導入を待つまでもなく、本症に対する適応について追試が可能だつたのであり、また、臨床上の人的教育、物的設備の点においても、既に行なわれていた光凝固法を本症に応用するという関係のために、比較的早急に最低限度の人的教育、物的設備は整つたのである。冷凍凝固法の場合も同様である。

そのため、右各治療法は、本件診療当時までに少数の研究者の実験的追試例の研究報告の域に止まらず、広く本症の治療法として臨床上普及し、全国各地の病院において実施され、その有効性が確立し、このことは眼科以外の小児科、産科の医師らによつても広く承認され、多数の医学文献において、その旨の記述が見られた。したがつて、右各治療法は、本件診療当時医療水準に達していたと言える。

(ウ) 眼底検査

眼底検査も、光凝固法が成人の眼科的疾患に対して用いられたと同時に、既に成人に対して実施されていた。そして、遅くとも昭和四二年か昭和四三年頃から、眼科、小児科、産科が未熟児に対する定期的眼底検査を主体とする本症の早期発見、早期治療の重要性を共通の認識基盤として、右三科が共同して未熟児管理に当たる態勢が漸く軌道に乗り出し、未熟児の眼底検査は広く全国的に普及し始めるに至つた。県立医大病院においても、本件診療当時、未熟児に対する眼底検査を施行していたもので、右眼底検査は右当時、眼科だけでなく産科、小児科の医学知見として一般的に普及していた。したがつて、未熟児に対する眼底検査は、本件診療当時医療水準に達していた。

(2) 本件診療における担当医師の過失

(ア) 産科医小笠原

① 酸素管理上の過失

酸素は本症の発生原因であるから、酸素管理は本症の予防上重要である。また、本症は一旦罹患しても自然治癒する率が非常に高いから、自然寛解を促す方法としても、適切な酸素管理が必要である。小笠原は、前記医療水準に従い、原告幸雄に対し、チアノーゼや呼吸障害の強い場合に必要最小限度かつ四〇パーセントを超えない濃度の酸素を投与し、右症状が消失した場合には、酸素投与を速やかに中止し、また、酸素療法中は保育器内の酸素濃度をしばしば測定して、記録しておくべき注意義務があつた。

原告幸雄に呼吸困難があつたのは、昭和四六年一〇月一九日と同月二〇日の二日間のみで、それ以外は呼吸障害がなかつたし、同月二一日からは皮膚チアノーゼが弱い状態になり、同年一一月一五日からはそれが消滅したにもかかわらず、小笠原は右注意義務を怠り、同月二七日まで慢然と過剰に毎分六リットル(濃度四五パーセント)の酸素を投与し続け、同月二八日以降も、同年一二月一〇日まで毎分三リットル(濃度三八パーセント)の酸素を投与した過失がある。また、児の状態等によつて、同一の保育器であつてもその内部の酸素濃度に変化があるし、保育器内への酸素流入量(リットルで表示する。)と保育器内の酸素濃度(パーセントで表示する。)との一般的な換算の数値と実際の保育器内の酸素濃度の数値にも差異があるので、右酸素流入量を測定するだけでは不十分であるにもかかわらず、本件保育器内の酸素濃度を測定、記録せず、単に右酸素流入量を一日一回程度測定しそれを記録したに止まる過失がある。

② 定期的眼底検査の実施を県立医大病院の眼科医に依頼すべき注意義務を怠つた過失

原告幸雄は、体重が昭和四六年一〇月二五日には一四〇〇グラムに低下したものの同年一一月八日には生下時体重の一六五〇グラムに戻り、同月二一日には二〇四〇グラムとなり、以後二〇〇〇グラムを割ることはなかつた。皮膚チアノーゼも同年一〇月二一日以降は弱い状態となり、同年一一月一五日以降は、同年一二月二〇日の退院まで表われることがなかつた。呼吸困難も同年一〇月一九日、同月二〇日以外は表われなかつた。したがつて、原告幸雄の状態が良好な時期に定期的眼底検査を実施することは可能であつた。そして、被告病院は全国的に組織された病院であり、本件診療当時県立医大病院と密接に連絡し協力する関係にあつたから、小笠原は前記医療水準に従つて、県立医大病院の眼科医に原告幸雄の定期的眼底検査の実施を依頼すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。

③ 光凝固法又は冷凍凝固法実施のために原告幸雄を東北大病院の眼科医へ転医すべき注意義務を怠つた過失

本件診療当時、東北大病院においては既に光凝固法及び冷凍凝固法が臨床的に実施されていたから、小笠原は前記医療水準に従い、原告幸雄を右病院の眼科医へ転医して右各治療法の実施を依頼すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、原告幸雄に適期に本症の治療を受ける機会を逸しさせた過失がある。

(イ) 小児科外来担当医

① 眼底検査の実施を県立医大病院の眼科医に依頼すべき注意義務を怠つた過失

原告ツヤコが昭和四七年一月一〇日頃、原告幸雄の目の異常に気づき、同月一三日、同月三〇日、同年二月一日、被告病院の小児科外来担当医師に、原告幸雄の目の異常を訴えて診察を求めたのであるから、右医師としては前記医療水準に従い、被告病院と協力関係にあつた県立医大病院の眼科医に原告幸雄の眼底検査の実施を依頼すべき注意義務があつたのに、これを怠つた過失がある。

② 光凝固法又は冷凍凝固法実施のために原告幸雄を東北大病院の眼科医へ転医すべき注意義務を怠つた過失

右医師は、右の際、前記医療水準に従い原告幸雄を東北大病院の眼科医へ転医して、光凝固法又は冷凍凝固法の実施を依頼すべき注意義務があつたのに、これを怠り、原告幸雄に適期に本症の治療を受ける機会を逸しさせた過失がある。

③ 説明義務を怠つた過失

右医師は、前記医療水準に照らし、原告ツヤコに対し、本症、眼底検査の必要性、本症に対する治療法としての光凝固法及び冷凍凝固法について説明義務があつたのにもかかわらず、これを怠つた過失がある。

(二) 原告幸雄の失明と本件診療との因果関係

原告幸雄は、本件診療によつて、酸素を過剰に投与された結果本症に罹患し、かつ、本症に対する適切な治療の機会を逸したために失明するに至つたのであるから、原告幸雄の失明と本件診療との間には、相当因果関係がある。

(三) 被告の責任

(1) 不法行為責任

小笠原及び小児科外来担当医が、前記各過失によつて、原告幸雄に両眼失明の傷害を負わせたのであるから、同人らを雇用する被告は、民法七一五条一項に基づき、原告らの被つた損害を賠償すべき責任がある。

(2) 債務不履行責任

原告ツヤコは、原告幸雄の法定代理人として、被告との間において昭和四六年一〇月二〇日、被告病院が原告幸雄を看護、保育することを目的とする診療契約を締結し、被告は、小笠原及び小児科外来担当医を履行補助者として、右契約に基づく債務の履行をさせたが、右各医師は前記各過失によつて原告幸雄に両眼失明の傷害を負わせたのであるから、被告は右債務不履行に基づき、原告らの被つた損害を賠償すべき責任がある。

6  原告らの損害

(一) 原告幸雄

(1) 慰藉料

原告幸雄は、右失明により生涯光を知ることができない悲惨極まりない状態にある。そして、将来当然予想される職業制限、結婚制限、言われなき差別、行動の制約の中で生きていかなければならない。同原告のこのような人生の様々の困難、障害による精神的苦痛は察するに余りあるものがあり、右事情を総合斟酌すると、同原告に対する慰藉料としては、金二〇〇〇万円が相当である。

(2) 逸失利益

原告幸雄は、右失明によつて、本来労働者として将来得べかりし次の利益を喪失した。

労働省労働大臣官房労働統計調査部発表の昭和四三年賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表の全労働者の平均月間決まつて支給される現金給与額が金四万八九〇〇円であり、年間賞与その他の特別給与額が金一三万四九〇〇円であるから、年間総収入は金七二万一七〇〇円(48,900×12+134,900=721,700円)となる。

原告幸雄の稼働年数は、満二〇歳から稼働すると四三年間であるから、ホフマン方式により右収入を基に逸失利益現価総額を算定すると、金一六三一万一〇四二円(721,700×22.611=16,311,042円)となる。

(3) 弁護士費用

原告幸雄は、弁護士を訴訟代理人として本訴を提起するのやむなきに至り、その費用として金五〇万円の支出を余儀なくされた。

(二) 原告ツヤコ

(1) 慰藉料

原告ツヤコは、母親として原告幸雄を出産した喜びもつかの間、奈落の底に落され、日夜原告幸雄の介護をなす身となつてしまつた。原告ツヤコの現在及び将来において被る精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがある。これを慰藉するには金三〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告ツヤコは、弁護士を訴訟代理人として本訴を提起するのやむなきに至り、その費用として金三〇万円の支出を余儀なくされた。

7  よつて、原告らは、被告に対し、不法行為責任又は債務不履行責任に基づく損害賠償金として、原告幸雄において金三六八一万一〇四二円、原告ツヤコにおいて金三三〇万円及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和五〇年一〇月二八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、原告幸雄が原告ツヤコの長男であることを除くその余の事実は認める。

2  同2のうち、原告幸雄が退院後本症により両眼とも失明していることが判明したことは知らない。その余の事実は認める。

3  同3について。

(一) (一)(1)のうち、原告幸雄が仮死状態となつた後、蘇生し、チアノーゼが著明のため本件保育器に収容され、酸素を投与されたことは認め、その余は否認する。原告幸雄は第一度仮死にて出生したのである。(一)(2)は認める。

(二)(1) (二)のうち、(1)から(15)までの期間、原告幸雄の看護、保育の担当医師が産科医小笠原であつたこと、酸素流量、原告幸雄が昭和四六年一二月四日自力で哺乳できるようになつたことは認め、酸素濃度は否認する。原告幸雄の状態は次のとおりであつた。

(ア) 入院時の所見は、心音、呼吸とも非常に弱く、全身の発育状態が悪く、全身にチアノーゼがあり、生命が危ぶまれる状態であつた。本件保育器収容後の原告幸雄の呼吸及び心臓の状態、いわゆる心肺機能は、酸素投与にもかかわらず、チアノーゼが消失しない状態で、昭和四六年一〇月二二日には全身浮腫が現われ、元気不良で全く生命の危ぶまれる状態が続いた。同月二二日酸素流量を毎分四リットルに変更したが、同月二九日にチアノーゼが増強したのでこれを六リットルに変更したのである。チアノーゼは同年一一月二八日(生後四〇日目)に完全に消失するまで続いており、いかに心肺機能が弱く、未熟性が強かつたかを示している。

また、飢餓療法の後、同年一〇月二一日原告幸雄は哺乳能力がないので、カテーテルによつて強制栄養を開始された。同原告は消化機能も未熟で、時々吐乳をくり返し、同月二五日から同月二八日にかけて、体重が一四〇〇グラムに落ち込み、生下時体重に復したのは、同年一一月八日(生後二〇日目)であり(通常の児は五日ないし一週間)、いかに全身的に未熟性が強かつたかを示している。そして同月一日に発熱、脱水症状を起こし、同月二日にはチアノーゼが増強し、元気がなくなり、同月一一日にも同様の状態となり、同月一二日にはまた全身浮腫が現われ、依然として生命の危険な状態であつた。そのため酸素流量毎分六リットルの投与を継続したのである。

(イ) その後、原告幸雄は依然として自力哺乳ができない状態であつたが、体重は徐々に回復し、同月二八日にチアノーゼが消えたので、環境に慣らしていくために酸素流量を毎分三リットルに落したのである。

(2) (一)(16)のうち、昭和四七年一月一〇日頃原告ツヤコが原告幸雄の目の異常に気づいたことは知らない。その余の事実は否認する。

(三) (三)は知らない。

4  同4のうち、(一)は知らない。(四)は認め、その余は否認する。

5  同5は争う。

6  同6について。

(一) (一)のうち、(3)は知らない。その余は争う。

(二) (二)の(1)は争い、(2)は知らない。

三  被告の主張

1  (請求原因4に対し)

(一) 未熟児に対する酸素投与の必要性

二〇〇〇グラム以下の未熟児は、しばしば呼吸が浅く、肺胞が十分拡張するのに一週間ないし二週間を要することが多く、はなはだしいときは一か月も要するので、保育器内で生後一定期間酸素吸入をして順調に肺胞が拡大するのを助けなければならず、未熟度の如何によつて死亡の危険が常に存在する。したがつて、出生後少しでも呼吸障害やチアノーゼが見られたら、直ちに酸素を投与することが不可欠である。

未熟児に対する酸素療法は、新生児に対する不規則呼吸の改善、ひいてはその生命の救済という観点から始まつたものであり、現在においても、最も重要な目的は低酸素症の改善である。

(二) 未熟児に対する酸素療法と本症研究の歴史的経緯

(1) アメリカ合衆国

第一次大戦後、呼吸に関する研究も進歩しチアノーゼに至らなくても未熟児の不規則呼吸は死亡率の上昇や神経障害発生の大きな原因であることがわかつてきた。そこで、このような不規則呼吸の防止法として酸素が利用され始めた。右当時は酸素を用いることに何ら制限はなく、思いのままの高濃度酸素による治療を行なうとした。

一九四〇年代以降でも保育器内の環境酸素濃度を極めて高濃度にし、六五パーセントから七〇パーセント、さらに八〇パーセント以上の濃度で投与していた。

一九四〇年代後半から一九五〇年代前半にかけて、未熟児保育の先進した英米において本症が多発し、その原因が追及され、感染、内分泌、鉄剤、ビタミンなど種々の原因が否定され、酸素が残つた。そこで、酸素投与の制限が行なわれ、その結果本症の発生は劇的な低下をみるに至つた。

しかし、酸素投与の制限によつて、死亡や脳性麻痺の発生が増加したため、その後再びこれらの予防のために高濃度の酸素療法が行なわれるようになつた。

結局、死亡や脳性麻痺を防ぐと同時に本症の発生まで防ぐということは、未だに不可能な問題とされている。そして、極小未熟児の保育成績の飛躍的向上が同時に本症増加の一因となつているのである。

(2) 日本

一九四五年から一九五〇年の英米において本症が多発した当時、わが国においては、まだ未熟児の保育は普及しておらず、一九五五年以降の酸素療法の制限以後に普及、発達したため、本症に対する関心は基本的に少なく、もはや過去の疾患として考えられていた。

酸素の問題についても、制限すべきであるという考え方の下に未熟児保育が始つたので、アメリカ合衆国のように爆発的発生はなく、若干の文献的な報告はあつたとしても、それは特殊の専門的興味を持つ者に限定されていたし、酸素と本症の関係について概括的に理解していたとしても、定説もなく、実証性に欠けるものであつた。

昭和三〇年代を通覧すれば、昭和三六年頃までは、未熟児を扱う小児科、産科の保育基準は、酸素濃度を四〇パーセント以上にしないということが動かし難いものとして考えられていたが、その後、画一的な投与によつて逆に生命の問題が失われるという批判が出始め、必要があれば、右基準を超えてもよいという考え方に移行する時期に近づいてきた。

昭和四〇年代前半では、一部の例外はあつても、生命のためには酸素を必要にして充分与えるべきであるとする見解が支配的となり、医師の自由裁量の巾が広がつてきた。また、環境酸素濃度よりも血中酸素濃度の測定の必要性が唱えられた。

昭和四五年から昭和五〇年代に至る期間の本症に関する研究は、漸次増加しつつあつたが、研究をなしうる医療機関は極めて限られたところであつて、研究結果の発表に際しても著名な学者からの質疑も多く、本症の予防、治療の研究はまだ試行錯誤の状態であつた。知識の普及すら十分でないうえ、予防や治療に関する方法の具体的実施については、様々な前提条件の具備が必須であるにもかかわらず、未熟児保育を担当する各科の境界領域の問題であるため、右条件が整わないという現実であつた。

(三) 本症の発生原因

生体に生ずる疾患の原因は、すべて素因と誘因との競合によるが、本症の原因についても、素因として網膜の未熟性、誘因として酸素(大気中の酸素をも含む。)、ヘモグロビン、貧血、輸血、光刺激、麻酔などが考えられているが、現在においても、発生原因の研究はいまだ充分とはいえない点が多く、本症の実態の解明も尽されていない。そして、酸素投与と本症発生との因果関係も必ずしも充分に解明されておらず、また、本症の確実な予防法はなく、現在の最高水準の医療技術を以てしても、本症の発生を未然にかつ確実に防ぐことは不可能であるとされている。そして、本症は完全と思われる酸素管理下においても発生していること、成熟児についても発生していることから、原因として個体側の網膜の血管発育状態如何が大きな要素であると指摘されている。

(四) 本症の治療法

本症のうち、七〇ないし八〇パーセントは自然寛解することが臨床的に明らかにされており、自然寛解しないものに対する治療法としては、現在でも、安全にして確実かつ有効といいうるものはなく、近時、光凝固法、冷凍凝固法が試みられているが、これらにも限界がある。その他の治療法としては、従来、薬物療法、酸素療法などが試みられたが、これらも有効な治療法とはいい難かつた。

(1) 光凝固法

(ア) 効果

光凝固法は、未だ研究段階にあり、研究者以外は右方法を行なうべきではないという見方もあり、また、同方法に極めて批判的又は消極的意見も述べられている。それは、光凝固したこれまでの報告例のほとんどは、自然寛解率が高く、右方法を必要としない本症Ⅰ型に関する事例であり、いわゆる激症型と呼ばれる本症Ⅱ型についての定型的臨床像及びその治療の適応などの報告が皆無に等しく、むしろ、Ⅱ型の本症に対しては、どれだけ実効を期し得るか疑問とされており、時には全く無効のこともあり、他方その光刺激のために却つて悪化することもあると考えられており、昭和四九年度研究班報告の本症第4期にまで進んだものに対しては効果がなく、そのため、右方法の効果を確実なものとして評価できないこと、右方法の最も弱い点は、動物実験が一つも行なわれずいきなり人間に対し直接行なわれたこと、しかも光凝固それ自体による瘢痕はより強く現われるのであつて、重症患者にたとえられる未熟児の未熟な網膜の無血管領域等を、いわゆる光のメスによつて焼灼することにより、後にどのような合併症が惹起されるかという副作用ないし後遺障害の点についての吟味が充分になされていないことなど、医療の基本にふれる問題を包蔵しているからである。

現在、東京都心身障害者福祉センターに収容されている視覚障害児は、全員光凝固法を受けたにもかかわらず視覚障害児となつた者である。

(イ) 手技的危険性

光凝固法は、いわゆる光のメスともいわれ、光によつて未熟な網膜の組織を焼灼して破壊するものであり、もし過つて乳頭黄斑線維束、黄斑部を照射すれば、視力は永久的な侵害を受け、一瞬にして失明を招く危険性をもはらんでいる。また、光凝固による副作用を含む障害という面からも、その実施時期、方法について問題がある。

(ウ) 手技的困難性

光凝固法は、適応症例の選定と適応時期の判断が最も大切であつて、適応症例の選定を誤まれば、過剰侵襲を来たし、また、適応時期を失すれば、無効に終るとされている。しかし、右方法の適期については、各研究者によつて意見がまちまちで、右方法の開発者たる永田でさえ二転三転しているのが実情である。

(エ) 光凝固法の施行と一般眼科医の教育、訓練

未熟児の眼科的管理を始めた眼科医が右方法の適応をほぼ的確に判断しうるようになるには、指導者の下で少なくとも半年ないし一年間の教育を受けることが必要であり、このような教育は、光凝固装置を設備した病院で、経験者と共に眼底を検査することに始まり、自然治癒症例と進行重症型を判別する訓練、光凝固に最適な時期の判定、光凝固実技の訓練などが実際の症例についてマンツウマン方式で行なわなければならないとされ、昭和四九年当時といえども本症を的確に診断し、光凝固の時期を的確に決定しうる医師は極く少数のものに限られており、どの病院でもできるというものではなかつた。

(オ) 外国との比較

日本においては、本症に対して光凝固法が濫用されている状態にあるとされている。欧米では、右方法が本症に対して効果があるか否か疑問であるとされ、ほとんど実施されておらず、本症は新生児集中治療施設(以下「NICU」という。)によつて予防すべきものであつて、治療すべきものではないという見解が全般的な傾向である。そして、我国において右方法が用いられていなかつた時代においては、一三〇〇グラム以下の極小未熟児の失明率が、アメリカ合衆国におけるそれとほぼ同一であつたものが、右方法を実施している現在では、自然の経過に任せ右方法を用いていないアメリカ合衆国と比較して、五〇パーセントも失明率が高いという現象が生じている。

(2) 冷凍凝固法

冷凍凝固法の臨床実験の結果が文献的に発表されたのは、昭和四六年と昭和四七年である。同方法の治療の目的は光凝固法と同じと考えてよいが、装置が安価な代りに、凝固の強さ、部位、大きさを正確にコントロールするという点では、光凝固法に劣ると考えている研究者が多い。そのため光凝固法を第一の治療法とし、これが無効な特殊症例に対してのみ、冷凍凝固法を施行している研究者もいる。また同方法にも、光凝固法におけると同様の問題点がある。

(五) 眼底検査

(1) 眼底検査の目的

当初は本症の実態を把握するために眼底検査が行なわれたのであり、治療を前提とした眼底検査が行なわれ始めたのは、昭和四八年以降である。また、眼底検査をしながら酸素を調節するという予防法は効果がないとされている。

(2) 人的設備

眼底検査によつて本症を診断することができるための教育訓練としては、指導者がおり、豊富な症例に当たり、半年前から一年程度のトレーニング期間が必要である。昭和四九年や昭和五〇年当時においても未熟児の眼底検査をして本症の診断をつけることができる者は少なかつた。

(3) 物的設備

眼底検査の器具として妥当とされているのは、網膜の周辺部まで観察しうるボンノスコープであり、通常の直像鏡などでは意味がないとされている。

(4) 眼底検査の実施

眼底検査は未熟児の全身状態が悪い場合には、実施できない。また、眼底検査の時期についても、生後一週間目、一〇日目、三週間目という説や、退院時でもよいとする説、また保育器の中においてもできるとする説などあり、全身状態と関連して、ほぼ生後三週間ないし四週間目という考え方が多く唱えられるようになつたのはごく最近である。

対象とする児についても、比較的長期間の酸素環境にあつた者だけ見るとする説、一六〇〇グラム又は一五〇〇グラム以下に限定する説もあつた時代から、現在未熟児の集中治療を行ないうるセンター的病院におけるシステムとしての定期的眼底検査のように全例について実施するという考え方まで様々な変遷があつた。

2  (請求原因5に対し)

(一) 医療水準について

新しい治療法が開発された場合に、それが広く応用されその時代の一般的な医療水準に達するまでには、①動物実験 ②臨床実験 ③追試 ④教育、訓練 ⑤一般的医療水準への到達という段階的経過を必要とする。一般的医療水準とは、学問としての医療水準に達しているものを、さらに医療の実践として普遍化するために又は普遍化しうるや否やを知るために、さらに多くの技術や施設の研究、経験の積み重ね、時には学説の修正をも試み、ようやく専門家レベルでその実際適用の水準としてほぼ定着したものをいう。つまり、学問としての医学水準と日常の診療に応用される一般的な医療水準との間には、時間的なずれがある。

しかも、眼科において一般的医療水準に達した診断及び治療が、産科や小児科において一般的医療水準となるのは、三年から五年かかるとされているのが、医学界の常識である。

かかる考え方に立つてこれを本件について見ると、本症の治療指針となるべき診断及び治療基準が一応のものとして示されたのが、昭和四九年度研究班報告が発表された昭和五〇年三月であり、それまでは本症の研究者らは、本症の臨床像の多様から各人各様の臨床分類や前記各凝固法の時期を設定して研究を続けてきたというのが実態であり、本件診療当時においては、本症に対する診断及び治療についてはまさに試行錯誤の段階にあつたといつてよく、その他人的物的設備の点も含め、未だ実地医療として一般化、普遍化していなかつた。

原告らは、新しい治療法が文献上発表されたならば即医療水準に達するという考え方に立つているが、眼科学会だけを取り上げてみても無数の論文が発表され、学説が日々提唱、更新されていくなかでは、一般の医師はもちろんのこと、研究者においてさえその文献に全部目を通すことはできず、極く限られたもの、自分の興味あるもの又は学会で問題になつているようなものに目を通すだけで精一杯である。しかも、医術においては医療行為の特質のため、新しい治療法が着想されてから実用されるまでには長い道程を要するのであつて、多数の医師が一研究者の研究論文を安易に信じて短期間のうちにこれらを自らの診断、治療に取り入れることはありえない。原告らの主張は、学問としての医学水準と具体的可能性のある実践としての医療水準とを混同した議論である。

なお、本件診断当時、福島県において、産科、小児科、眼科の共同管理の下に集中治療部を有して未熟児を集中管理していた病院はなかつた。

(二) 本症の位置づけ

(1) 原告らは、本症の性質について、それが不適切又は不必要な酸素供給を原因としているという意味において、いわゆる医原性疾患(医師が作つた疾患)であるかの如き主張を展開している。また、本症に罹患しても適切な治療によつて確実に失明が回避でき、視力障害も生ぜしめないことが可能であつたにもかかわらず、被告病院の担当医が各注意義務を怠つた結果、健全な眼の機能を喪失させた旨主張している。

しかし、本症については、まず、未熟児として生れたという事情が決定的であり、本件は多くの障害の可能性(死亡、脳性麻痺、失明など)を負つて生れてきた未熟児である原告幸雄の生命は救えたが、不幸にも視力は救えなかつたというのが実情である。健全な新生児として生れてきたにもかかわらず、その眼の機能に対し被告病院の担当医が障害を与えたというものではないのである。

(2) 未熟児の保育は、複在競合する多くの重篤な疾患に対する挑戦で始まるが、その全てが克服されるわけではなく、依然として生命保全及びその後の後遺障害は否定できない。

まず、最も特筆すべきは、死亡と本症との関係である。本症発生の原因が単純に高濃度の酸素であるという理由で厳しい酸素制限が施行された時代のアメリカ合衆国において、酸素制限をしなかつた一九四四年から一九四八年までの間と、酸素投与を制限した一九五四年から一九五八年までの間を比べると、酸素を制限したために未熟児の死亡率や脳性麻痺の発症率が上昇したことが明らかにされ、再び酸素制限の枠がゆるめられたことは歴史的に明らかである。また、一九七三年、ロンドン大学のクロス教授は、その論文において、酸素制限により、一人の失明が防止されても、その一人の失明を救うために約一六名の死亡例が発生する可能性があると述べている。また、昭和四九年度研究班報告中の東京都心身障害者福祉センターにおける調査結果においても一九六八(昭和四三)年から一九七三(昭和四八)年までの間に、本症による失明、弱視例六〇例が数えられたが、その中で精薄、脳性麻痺、てんかんは約七〇パーセントを超える四三例に達し、未熟児における決定的なハンディキャップを物語つている。

このように酸素療法の具体的実施において、死亡、脳性麻痺、本症と失明の三律背反の結果回避に対する根本的な解決方法は現在なお確立されていず、いかにそれが至難の行為に属するかについて深い理解がなされなければならない。これらの各相反する問題の中で、本症を正しく認識すべきであつて、決してその一部のみを拡大し、他の事実に眼を蔽うことは許されない。

(三) 酸素管理について

前記のとおり、原告幸雄は、出生時の仮死、長期間に亘るチアノーゼ、呼吸状態、体温、その他の全身状況からして、救命のため酸素が必要であつた。これらの症状に対して酸素の投与量を決めることは、担当医の判断に委ねられるべきものであるところ、本件診療当時においては、未熟児に対して投与する酸素濃度の基準を四〇パーセント前後とし、未熟児の症状に応じて酸素を投与すれば、本症発生の危険性は少ないと考えるのが一般臨床産科医の医学知見であつた。小笠原は、原告幸雄の治療、保育に当たり、右水準的医学知見に従い、原告幸雄の容態の変化に適合した必要最小限度の酸素流量及び酸素濃度に抑えることに留意したのであるから、過失はない。また、被告病院では、昭和四四年一〇月から保育器内の酸素濃度を酸素濃度計で測定していた。

なお、本件診療の看護記録に記載された本件保育器内の酸素濃度は、その測定前一時間できるだけ本件保育器を開けて処置等をすることを避けていたので、測定時刻の前後を通じて最高の濃度であつた(本件保育器は、右状態で酸素流量毎分六リットルの場合が酸素濃度約四五パーセントであり、酸素流量毎分三リットルの場合が酸素濃度約三八パーセントであつた。)。そして、実際に保育器を使用している時は医師や看護婦が保育器の紋り付き処置窓から手を挿入して、未熟児に対して種々の診療、看護行為を行なうから、その操作の毎に保育器内へ外部から空気が流入するうえ、保育器自体内部を常に高温、高湿に保つているため長年使用しているとひび割れが生じるもので、本件保育器にもひび割れがあつたから、本件保育器内の酸素濃度は右数値よりも低かつた。

(四) 光凝固法について

同方法は本件診療当時、成人の眼疾患に対する治療法としても確立していたわけではない。本件診療当時、本症に対する同方法も、安全、有効、確実な治療方法であつたとは到底いえず、本症に対し果して有効であるか否か全く未知数の状態であつた。光凝固装置の使用方法も実験的であり、しかも極く限られた大学病院等においてのみ実験的に追試が行なわれ、ある程度の適応例が見られ始めたばかりであつた。また奏功したという事例についても、高い自然治癒率との関連において果して光凝固法によるものなのか否か確たる判定は下し得ない状況にあつた(コントロール・スタディ((対照試験))による有効性に関する実証的な研究、報告は皆無であつた。)。したがつて、本件診療当時、先駆的専門医においてさえ光凝固法の施行時期、術法、施行適応症状の認定等に関し確たる信念はなく、いわば実験の積み重ねを待ちつつこれらの解明に努めていた状態であつた。また、右当時、右方法の副作用、後遺症の点は全く未知数であり、その後の研究を待たねばならなかつた。そのため、昭和四六年発刊の本症に関する眼科医、小児科医、産婦科医のための教科書中には光凝固法を含め治療法そのものに消極的姿勢を示しているものがあつた。

国立小児病院、名古屋市立大学医学部附属病院、神奈川県立こども医療センター、横浜市立大学医学部附属病院といえば、全国でも最高レベルにある未熟児保育医療施設であるが、光凝固装置を設備した年代は、国立小児病院が昭和四八年、横浜市立大学附属病院が昭和四七年、神奈川県立こども医療センターが昭和四八年、名古屋市立大学医学部附属病院が昭和四六年秋であり、右設置当初は、光凝固法を一般的な治療方法として用いるというよりも臨床実験的、追試的に使用したという面が強かつた。なお、福島県で初めて県立医大病院が右装置を設備したが、それは昭和四七年一二月であつた。

(五) 冷凍凝固法について

同方法は、実験的報告として文献的発表を見たのが昭和四六年及び昭和四七年であるから、本件診療当時においては、本症に対して同方法が登場してまだ日も浅く、臨床実験段階の域を脱していず、治療法として確立していたとは到底いえない。昭和五〇年当時においても、福島県内で冷凍凝固法を実施している眼科医はいなかつた。

(六) 眼底検査について

眼底検査は、本症に対する有効、安全な予防法、治療法が存在し、これとの結びつきが存在していることを前提として初めて意義を有するものである。しかし、本件診療当時、眼底検査と結びついた有効、安全な予防法、治療法は確立されていなかつた。各地の大学病院において、治療法との結びつきを念頭に置きながら定期的眼底検査を始めたのは、昭和四八年以降であり、一般臨床医の間に同様に普及したのは、昭和五〇年後半以降である。

本件診療当時、未熟児に対して眼底検査を実施していたのは、植村恭夫の国立小児病院、馬嶋昭生の名古屋市立大学附属病院、永田の天理病院、塚原勇の関西医科大学附属病院、国立岡山病院、九州大学病院、東北大病院で、これらは特に本症に深い関心を持ち、研究を意図している独自の研究者を有する医療機関であつて、プロジェクトチームを組むことができ、システムとしての体制作りが可能であつたところである。しかも、ここでの眼底検査は、有効、安全な治療法との結びつきの下に行なわれてきたものではなく、むしろ、本症の実態を把握するためや、光凝固法等の治療法の臨床試験ないし追試のためという研究目的で行なわれてきたものである。本症のような稀な疾患には関心を示さない全国万余の病院や産院では、眼底検査は考えられなかつたことである。

定期的眼底検査の実施は容易なものではなく、それが一般医療機関に普及するためには、眼科的管理の人的、物的設備の充実、産科、小児科と眼科との連携態勢の確立、眼底検査の意義に対する認識の向上、専門的眼科医の養成による眼底検査の技術的困難性、危険性の克服、眼底検査の時期の確定を要するなど、そこには様々の隘路が横たわつている。そして、昭和五一年当時においても、本症発見のための眼底検査は未熟児の生命優先の見地から極めて困難視され、相当研鑽を積んだ眼科医と完備した設備とが相まつて初めて可能とされていた。本件診療当時、被告病院に眼科はなく、また昭和四四年から昭和四六年まで、福島県の医療の指導的立場にあつた県立医大及び県立医大病院が学園紛争のため麻痺状態にあり、福島県内において未熟児に定期的眼底検査を施行していた病院は存在しなかつたという社会的、地域的特殊性(医療環境)もあつた(なお、県立医大病院で定期的眼底検査を行なうようになつたのは昭和五〇年以降である。)。

しかも、眼底検査は未熟児を保育器から出して相当時間行なうものであるから、まれに見るほど長期間のチアノーゼが存在していた原告幸雄に対して眼底検査を行なうことは、生命の危険につながるものであつた。

以上の事情に照らし、小笠原や小児科外来担当医が原告幸雄に眼底検査を実施することを県立医大病院の眼科医に依頼することは不可能であつた。

(七) 説明義務について

医師の患者に対する説明義務は、一般的な医療水準から派生する治療義務の一部として捉えるべきものであり、それ自体独立した形態の法的義務として存在するものではない。

したがつて、本来、結果回避義務(治療義務)の法的構造の中に位置づけられるものである。

原告らが主張する説明義務が、法的義務として存在するためには、その前提として本件診療当時、本症についての診断、治療基準を含め、一般的な医療水準になつている有効かつ安全な治療法が確立、存在していることを要する。しかし、前述のように本件診療当時、それは確立していず、先駆的研究者らが試行錯誤していた段階であつたし、また、定期的眼底検査も福島県内では行なわれていない実状にあつたから、原告らの主張は、前提を欠き失当である。

(八) 以上の点に照らし、本件診療は、小笠原や小児科外来担当医が、それぞれ通常要求される注意義務に何ら欠けるところのない適切な処置であり、原告ら主張の過失はない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1について。

(一) (二)(2)のうち、昭和四五年から昭和五〇年代に至る期間についての部分は否認する。

(二) (三)は否認する。

酸素を投与しなかつた場合や成熟児の場合にも本症が発生した事例を報告する文献も若干あるが、これらの文献も右事例があくまで例外的なものであることを前提として報告しているのであつて、その大半の文献は、本症の予防のために酸素の使用を必要最小限度とせよと警告したり、酸素投与の方法について述べ、酸素投与と本症との因果関係を否定するものは皆無である。そして、未熟児として生まれたことが本症の罹患と関係があることは事実であるが、ここで重要なことは自然的な因果の連鎖をたどることではなく、被告病院の担当医の注意義務を設定する限りでの法的な因果関係が問われているのであるから、ここでは自然的な因果の流れから本件診療において担当医が関与しえた範囲での因果の系列を取り出さなければならない。すなわち、未熟児として生まれたことは与えられた条件であつて「未熟性」を前提として本症の因果関係を論じなければならない。しかるとき、担当医が本症の発生、予防について関与しえたのは、酸素管理の点である。担当医が素因としての未熟性については関与しえなかつた以上、未熟性は本件における法的因果関係の基礎をなす事実とはなりえない。

(三) (四)(五)は否認する。

2  同2について。

(一) (一)は争う。

(二) (二)は否認する。現在では、前記のような酸素投与の基準に従い、動脈血中酸素分圧(以下「PaO2」という。)の測定値に基づいて酸素管理を適切に行なえば、未熟児の生命も脳も眼も救うことが可能であるとされている。

(三) (三)ないし(八)を争う。

第三  証拠<省略>

理由

第一当事者

請求原因1のうち、原告幸雄が原告ツヤコの長男であることは<証拠>により認められ、その余の事実は当事者間に争いがない。

第二原告幸雄の失明

請求原因2のうち、原告幸雄が昭和四六年一〇月一九日午前六時三〇分、渡部医院において在胎八か月で出生し、生下時体重が一六五〇グラムの未熟児であつたため同月二〇日午後三時被告病院へ転医され、本件保育器に収容されて保育、看護を受け、同年一二月二〇日退院したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、その後、原告幸雄が本症によつて両眼とも失明していることが判明したことが認められる。

第三原告幸雄の症状と診療経過

一渡部医院において

1  <証拠>によれば、昭和四六年一〇月一九日、原告幸雄は出生前心音が明瞭であつたが、第一度仮死にて出生したことが認められ、その後蘇生術によつて蘇生したものの、チアノーゼが著明なため保育器に収容され、酸素二五〇リットルを投与されたことは当事者間に争いがない。

2  同月二〇日午後三時まで時々チアノーゼがあり酸素二五〇リットルを投与されたことは当事者間に争いがない。

二被告病院において

<証拠>によれば、次の事実が認められる(酸素流量については当事者間に争いがない。)。

1  産科医小笠原による診療経過(原告幸雄の担当医が産科医小笠原であつたことは当事者間に争いがない。)

(一) 昭和四六年一〇月二〇日(午後三時以降、生後一日目)

呼吸促迫(+)、四肢チアノーゼ(+)、元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、皮膚蒼白色(+)、体重一六五〇グラム、酸素流量毎分六リットル投与。皮膚黄疽、口腔舌苔、鵞口蒼、吃逆、皮膚紅斑、湿疹、出血、嘔吐等は(−)。ビクシリンS、グロンサン糖、ビタカン、テラプチク施用。

(二) 同月二一日(生後二日目)

四肢チアノーゼ(+)、元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、強制栄養開始(五回)、体温三五・四度、体重一六〇〇グラム、酸素同続行。皮膚蒼白色(−)。

(三) 同月二二日(生後三日目)

皮膚チアノーゼ(+)、元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行(八回)、酸素流量を午前二時五八分毎分四リットルに変更、全身浮腫()(全身浮腫が現われたことは当事者間に争いがない。)、体温三七度、体重一六〇〇グラム。

(四) 同月二三日(生後四日目)

皮膚チアノーゼ(+−)(これは軽度のチアノーゼがあることを意味する。)、元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行(五回)、体温三五・二度ないし三六・九度、体重一五五〇グラム、酸素流量毎分四リットル続行。

(五) 同月二四日から同月二八日まで(生後五日目から九日目まで)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行(以下同年一二月三日まで毎日八回、翌四日から自力哺乳)、体温三六度ないし三六・七度、体重は同月二五日と同月二八日に一四〇〇グラムまで低下、酸素同続行。

(六) 同月二九日(生後一〇日目)

元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・四度ないし三六・六度、体重一四五〇グラム、四肢チアノーゼ(+)により、酸素流量を午前一一時一四分毎分六リットルに変更。

(七) 同月三〇日(生後一一日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・八度ないし三七・三度、体重一四五〇グラム、酸素同続行。

(八) 同月三一日(生後一二日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・八度ないし三六・六度、体重一四六〇グラム、酸素同続行。

(九) 一一月一日(生後一三日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三八・八度ないし三六・三度、体重一四八〇グラム、酸素同続行。

(一〇) 同月二日(生後一四日目)

四肢チアノーゼ(+)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・八度ないし三六・四度、体重一六〇〇グラム、酸素同続行。

(一一) 同月三日から同月五日まで(生後一五日目から一七日目まで)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三五・八度ないし三七・三度、体重一五六〇グラムないし一五八〇グラム、酸素同続行。

(一二) 同月六日(生後一八日目)

体動時にチアノーゼ(+)、その他の時(+−)。元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・六度、体重一六〇〇グラム、酸素同続行。

(一三) 同月七日から同月一〇日まで(生後一九日目から二二日目まで)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三五・八度ないし三七・四度、体重一六〇〇グラムから一六九〇グラムに増加(同月八日に一六五〇グラム((生下時体重と同一))に戻つたことは当事者間に争いがない。)、酸素同続行。

(一四) 同月一一日(生後二三日目)

体動時にチアノーゼ(+)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・八度ないし三七・二度、体重一七三〇グラム、酸素同続行。

(一五) 同月一二日(生後二四日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、浮腫(+)、体温三六・六度ないし三七・三度、体重一七四〇グラム、酸素同続行。

(一六) 同月一三日及び同月一四日(生後二五日目及び二六日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・〇度ないし三七・〇度、体重一七六〇グラムから一八六〇グラムに増加、酸素同続行。

(一七) 同月一五日から同月二七日(生後二七日目から生後三九日目)

皮膚チアノーゼ(−)(すなわち、チアノーゼが消失した。)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・〇度ないし三七・三度、体重一八四〇グラムないし二三五〇グラム、酸素同続行。

(一八) 同月二八日から同年一二月二日まで(生後四〇日目から四四日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六・〇度ないし三七・三度、体重二四〇〇グラムから二五一〇グラムに増加、同年一一月二八日午前一一時一七分酸素流量を毎分三リットルに変更。

(一九) 同月三日(生後四五日目)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、強制栄養続行、体温三六・六度ないし三七・〇度、体重二五四〇グラム、酸素同続行。

(二〇) 同月四日(生後四六日目)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、強制栄養中止(自力で哺乳できるようになつたことは当事者間に争いがない。)、体温三七・〇度ないし三六・〇度、体重二五五〇グラム、酸素同続行。

(二一) 同月五日から同月七日まで(生後四七日目から四九日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六・二度ないし三七・〇度、体重二五八〇グラムから二六五〇グラム、酸素同続行。

(二二) 同月八日から同月一〇日まで(生後五〇日目から五二日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六・七度ないし三七・〇度、体重二七一〇グラムから二七五〇グラム(ただし一二月九日は二八〇〇グラム)、日中のみ保育器から出された。夜間は本件保育器に収容された。保育器に収容された間は酸素同続行。同月九日に風邪をひき鼻汁(+)。

(二三) 同月一一日(生後五三日目)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、体温三六・八度ないし三七・四度、体重二八〇〇グラム、鼻汁(+)、本日以降酸素投与を中止。

(二四) 同月一二日から同月二〇日(退院)まで(生後五四日目から六二日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六・六度ないし三七・四度、体重二七五〇グラムから三一〇〇グラムに増加。

(二五) 以上の経過を総括すると、次のとおりである。すなわち、

被告病院が昭和四六年一〇月二〇日午後三時、原告幸雄を受領した当時、皮膚黄疽、口腔舌苔、鵞口蒼、吃逆、皮膚紅斑、湿診、出血、嘔吐等はなかつたが、皮膚蒼白色で呼吸促迫し、両手肢チアノーゼ(+)があり、啼泣力、哺乳力不足で元気不良であつたため、ビクシリンS、グロンサン糖、ビタカン、テラプチクを施用し、同原告を保育器に収容して酸素を流量毎分六リットルを投与し、看護を始めた。

翌二一日皮膚蒼白色は改まつたが、依然チアノーゼ(+)があり、二二日には全身浮腫()が認められた。チアノーゼは同月二三日から同月二八日まで(+−)となつたが、同月二九日及び一一月二日に四肢チアノーゼ(+)、同月六日及び同月一一日に体動時チアノーゼ(+)を認めたものであり、翌一二日浮腫(+)があつた。産科医小笠原は、右一〇月二二日午前二時五八分酸素流量を毎分四リットルに減じ、これを同月二八日まで維持した。原告幸雄の啼泣力不足、元気不良は同月三〇日まで、哺乳力不良は一二月二日まで続いたが、体重は一一月八日に生下時体重に戻り、以後増加を続け、チアノーゼは同月一五日以降(−)となつた。しかし酸素投与は一〇月二九日四肢チアノーゼ(+)により同日午前一一時一四分再び酸素流量毎分六リットルに増量し、一一月二八日午前一一時一七分元気良好、チアノーゼ(−)により酸素流量毎分三リットルに減じ、原告幸雄が自力哺乳できるようになつた後も一二月一〇日までこれを維持した(ただし、一二月八日から同月一〇日までの三日間は日中保育器から出し、夜間酸素を投与した。)。

(二六) なお、原告幸雄に対する酸素投与期間中、本件保育器内部の酸素濃度や同原告のPaO2値を測定したことはなかつた。

2  昭和四七年一月一〇日頃、原告ツヤコが原告幸雄の目の異常に気づき、同月一四日に健康診断のため、また同月三一日及び同年二月一日に風邪症状のため、被告病院の小児科外来担当医に原告幸雄の診察を受けた際、目の異常を訴えたが、右担当医は、本症との関連で何らの措置、説明もしなかつた。

3  本件診療を通じて、右各担当医は、原告幸雄に対し眼底検査を実施することを他の病院の眼科医に依頼すること(被告病院に眼科はなかつた。)や光凝固法又は冷凍凝固法を実施するために同原告を他の病院へ転医することもしなかつた。

以上の事実が認められる。

なお、新生児経過表(乙第三号証の一、同表は「新生児経週表」という表題が記載されているが、証人木村和子の証言によれば、同表は「新生児経過表」の誤りであることが認められる。)の皮膚チアノーゼの欄は昭和四六年一一月一五日以降(−)となつているが、被告は原告幸雄のチアノーゼは同月二七日まで消失しなかつた旨主張し、証人小笠原もこれに沿つて、右表は未熟な看護婦等も記載するので正確でない旨証言し、また、証人木村和子も、右表は日勤の看護婦が午前一〇時に原告幸雄を観察したときの状態の記録であつて、同表において「チアノーゼ(−)」の場合にも、夜担当医が原告幸雄を観察してチアノーゼ(+)のことがあるから、そのために同月一五日以降も流量六リットルの酸素投与を続行したと思う旨証言する。しかし、新生児経過表においては、チアノーゼに対する観察結果は(+)、(+−)、(−)の符号によつて表示されており、且つ、右乙第三号証の一によれば、高橋、尾形、かんのの三名の看護婦によつて順次交替してその観察及び記録がなされ、その記載が一一月一五日から一二月二〇日まで一貫して(−)とされていることが認められるほか診療録や看護記録に右証言に沿う記載が全くないので右各証言はにわかに信用し難く、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

さらに、被告は原告幸雄に対する酸素投与期間中本件保育器内の酸素濃度を測定した旨主張し、証人小笠原及び同木村和子もこれに沿う証言をしているが、右乙第三号証の一のうち医師指示・実施・記録表の一〇月二〇日欄に、酸素六リットルの酸素濃度四五パーセント、酸素三リットルの酸素濃度三八パーセントと記載され、続く同月二二日欄(又は同月二六日欄、いずれの欄に該当するのか不明確)に酸素六リットルの酸素濃度四〇パーセントと記載されているにとどまり、しかも一〇月二〇日及び翌二一日には酸素を流量毎分六リットルを、同月二二日から同月二八日までは酸素を流量毎分四リットルを使用したもので、この間三リットルを使用したことはなかつたのであるから、右記載は酸素濃度を現実に測定した実数を記載したのか或は単なる換算率を記載したのか疑わしいうえ、右のほかに診療録及び看護記録に酸素濃度の記載が全くないことに照らすと、前記各証言は信用できず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

三<証拠>によれば、昭和四七年三月四日頃、原告幸雄が県立医大病院の加藤桂一郎医師の診察を受け、視力の回復は困難とされ、本症に罹患した疑いがある旨言われ、同月二四日頃、東北大病院山下由紀子医師の診察を受け、本症によつて両眼とも失明していると診断されたことが認められる。

第四本症に関する医療の現状

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

一本症の意義

本症は、発達途上の網膜血管に起こる非炎症性の血管病変であり、新生血管が異常な増殖性変化を起こし、重症の場合には網膜剥離を招来し、重大な視力障害を残すものである。

二本症に関する研究の歴史的経緯

1  欧米

欧米では、一九四〇(昭和一五)年頃から閉鎖式の保育器を用いた未熟児の保育が普及するようになり、これに伴つて本症によつて失明する未熟児が増加した。アメリカ合衆国のテリーが一九四二(昭和一七)年、未熟児の水晶体後部に灰白色の膜状物を形成して失明している症例を報告し、これをRetrolental Fibroplasia(水晶体後部線維増殖症、RLF)と命名した。同国においては、一九四〇年代後半から本症が急増し、乳幼児失明の原因となつた。

本症の性質については、当初、先天異常であるとする説も唱えられたが、一九四九(昭和二四)年、オーエンスらが本症が後天性の網膜血管の病変であることを確認し、また、本症の原因についても、ビタミンE欠乏説、ウイルス説、ホルモン欠乏説等種々の説が唱えられたが、一九五一(昭和二六)年オーストラリアのキャンベルは、未熟児保育時における酸素の過剰投与が原因であることを提唱し、この説は、その後多くの学者によつて臨床的研究が重ねられて確認され、キンゼイらの統計的研究が、酸素投与を制限することによつて本症の発生を減少させることができることを明らかにした(すなわち、キンゼイらは、一九五三年七月一日から一九五四年六月三〇日までの期間、アメリカ合衆国のミシシッピー河以東の一八の病院の協力のもとに、本症の発生と未熟児を高濃度の酸素の中におくこととの関係等につき大規模な調査を行い、七八六例の未熟児を二群に分け、五〇パーセント以上の酸素を二八日間投与したグループ((症例の三分の一))と小児科医が必要と認めた時にのみ酸素を与え、しかも酸素濃度を五〇パーセント以上に上げないグループ((症例の三分の二))とし、その追跡観察した結果、①本症の発生には未熟児が高濃度酸素の中に入つている期間が長いことが最も危険な因子である、②保育器から大気中に出すとき、急に大気中に出しても、酸素濃度を徐々に下げながら出しても本症の発生率に差はない、③酸素の投与は時間単位としてできるだけ低濃度の酸素をできるだけ短期間に制限しなければならない等の調査結論を得た。この調査成績はパッツらの動物実験の成績ともよく一致し、今日行われている未熟児への酸素投与制限という方向への道をひらいたものとされる。)。一九五四(昭和二九)年、アメリカ合衆国眼科学会における本症に関するシンポジウムにおいて、(一)未熟児に対するルーチンの酸素投与を中止する、(二)チアノーゼ又は呼吸障害の兆候を示すときにのみ酸素を使用する、(三)呼吸障害がなくなつたら直ちに酸素投与を中止する、という要請が出され、これによつて酸素の使用が厳しく制限されるとともに、投与する酸素濃度も四〇パーセント以下とするようになつた。その結果、一九五〇年代後半には本症の発生が激減し、本症はもはや過去の疾患と考えられるようになつた(なお本症の名称は、Retinopathy of Prematurity((未熟児網膜症又は未熟網膜症))とするのが適切であるとされた。)。

ところが、一九六〇(昭和三五)年、アベリーとオッペンハイマーは、一九四四(昭和一九)年から一九四八(昭和二三)年までの酸素を自由に使用していた期間と、一九五四(昭二九)年以降の酸素の使用を制限するようになつた期間とを比較すると、後者では、本症の発生が少なくなつた代わりに、特発性呼吸窮迫症候群(以下「IRDS」という。)によつて死亡したり、脳性麻痺となる新生児の発生頻度が高くなつたことを報告した。そこで、従来の酸素投与の方法に反省が加えられ、呼吸障害やチアノーゼが消失しない未熟児に対しては高濃度の酸素投与が実施されるようになり、再び本症に罹患する未熟児の増加が懸念された。

そこで、一九六七(昭和四二)年、アメリカ合衆国国立失明予防協会主催の未熟児に対する酸素療法を検討する会議が小児科医、眼科医、生理学者、生化学者を集めて開かれ、種々の問題点が取り上げられ、また、(一)酸素療法を受けた未熟児はすべて眼科医が検査すべきこと、(二)未熟児は生後二年まで定期的に眼の検査を受ける必要性があることが強調された。一九七一(昭和四六)年同国小児科学会は酸素療法においてはPaO2値を六〇ないし八〇ミリHgに保つことなどの勧告を出した。その後、同国においては、NICUが普及し、呼吸、脈拍、PaO2値等の測定を行ないながら酸素管理する体制によつて、本症に対し予防に重点を置いた医療が行なわれ、成果をあげているとされている。

2  日本

昭和二四年三井幸彦らが我国で初めて本症についての報告をなしたが、我国において閉鎖式の保育器による未熟児保育が普及したのは、欧米において本症が多発した時期(一九四〇((昭和一五))年から一九五〇((昭和二五))年まで)以後であつたので、欧米の右経験に習つて無制限な酸素投与は行なわれなかつたし、また、当初我国で使用されていた保育器は欧米のそれよりも性能が劣つていたため未熟児を高濃度の酸素環境で保育することもなかつた結果、欧米におけるような本症の異常発生はなかつた。そのため、我国では本症に対する関心が薄かつた。

しかし、昭和三九年植村恭夫は本症が我国においても発生していることを報告し、その後も本症の発生についての警告を行ない、以来我国においても次第に本症に対する関心が高まり、未熟児の眼科的管理の必要性が説かれるようになつた。

昭和四二年天理病院の眼科医永田が本症に対する治療法として光凝固法を試み、その治療に成功し、翌年これを発表して注目され、本症に関心を持つ研究者らも右方法による本症に対する治療効果の追試を行なつた。また、昭和四五年東北大病院の山下由紀子らは本症に対する治療法として冷凍凝固法を実施し成果を収めた。そして、昭和四九年我国における本症に関する代表的研究者ら(植村恭夫、塚原勇、永田、馬嶋昭生、松尾信彦、大島健司、山下由紀子、森実秀子、山内逸郎、奥山和男、松山栄吉、原田政美)によつて構成された昭和四九年度の厚生省研究班によつて作成され、昭和五〇年三月に発表された昭和四九年度研究班報告によつて本症の診断及び治療基準が示された。

このように我国においては、本症に対して予防ばかりではなく、治療にも重点が置かれてきた。

三本症の発生原因

本症の発生原因については種々の説が唱えられたが、現在では、網膜血管の未熟性を素因とし、網膜内のPaO2値の上昇を重要な誘因として発症し、酸素投与は後者の原因となる(なお、環境酸素濃度とPaO2値とは通常は相関関係にあるが、児の呼吸機能が不良の場合には環境酸素濃度が高くてもPaO2値は上昇しないことがある。)とされている。

本症は一般に二〇〇〇グラム以下の未熟児(一九七七年のW・H・O((国連世界保健機構))は、生下時体重が二五〇〇グラム未満の新生児を未熟児と定義した。)に発生することが多いが、その中でも特に生下時体重が一五〇〇グラム以下、在胎週数約三二週以下のいわゆる極小未熟児に多く発症するとされている。そして、環境酸素濃度が高く、酸素投与期間が長い程本症の発生の可能性が高いとされている。なお、極めて例外的事例として、全く酸素投与をしなかつた児又は適切な酸素管理を行なつた児についても本症が発症した例が報告されているが、この場合は、児が母胎内にいた間に比べ、出生後、空気中又は適切な酸素管理下に置かれても児の網膜内のPaO2値が上昇する(出生して室内の空気を呼吸すると、胎内で母体からの補給を受けていた頃にくらべ、血中酸素濃度は約二倍となる。)ので、網膜血管の未熟度が高いとき、PaO2値の上昇が重要な誘因となつて本症が発症すると説明されている。

四本症の発生機序

ヒトの網膜は胎生四か月までは無血管の状態であり、四か月以降に硝子体動脈から網膜内に血管が発達し始め、これが鋸歯状縁までに達して完成するのは、鼻側で胎生八か月、耳側で胎生九ないし一〇か月とされている。そのため、在胎期間が短い未熟児ほど網膜の血管網の発育が未完成で、網膜上に無血管帯が広く存在し、網膜血管の未熟性も強い。この児の網膜血管の発達は、出生後ひき続き胎外環境で行なわれることになるが、胎外においては児のPaO2値が母胎内にいたときよりも上昇するうえ、保育器内で酸素投与を受ければ右PaO2値はさらに上昇する。そして、このような発達途上にある未熟な網膜血管は、酸素に非常に敏感で、PaO2値の上昇によつて強く収縮し、ついには不可逆的な血管閉塞を起こし、その周辺の網膜は低酸素状態となる。その後、多くの場合、保育器内における酸素投与を中止した後に、右網膜内の酸素不足を補うために、右閉塞した血管付近から新生血管が網膜上の無血管帯へ異常増殖し、その新生血管が網膜内境界膜を破つて硝子体中にも侵入した場合には、新生血管からの滲出、出血によつて網膜硝子体癒着が起こり、これが瘢痕収縮して、重症の場合には網膜の牽引剥離が起こり失明に至るとされている。

本症は生後二週間頃から八週間頃に発生する例が多いとされている。生存未熟児中における本症の発生率は、国立小児病院一六・六パーセント(昭和四三年)、天理病院一五・二パーセント(昭和四五年)、関西医科大学附属病院五・三八パーセント(昭和四四年)、九州大学医学部附属病院及び国立福岡中央病院三五・四パーセント(昭和四五年)、三七・一パーセント(昭和四六年)、二八・九パーセント(昭和四七年)、兵庫県立こども病院三〇・五パーセント(昭和四七年)とまちまちである。なお本症の発症した児の中における自然治癒率は、約六五パーセントから約八五パーセントまでの数値を示す報告例が見られる。

五本症の臨床経過の分類

1  請求原因4(四)の本症の臨床経過の分類については当事者間に争いがない。

2  厚生省特別研究費補助金による昭和五七年度の研究班は、昭和四九年度研究班報告を再検討し、次のとおり改正した。

(一) Ⅰ型について

(1) 1期の名称が「網膜内血管新生期」と改められ、その説明は、「周辺ことに耳側周辺部に発育が完成していない網膜血管先端部の分岐過多(異常分岐)、異常な怒張、蛇行、走行異常などが出現し、それより周辺部には明らかな無血管帯領域が存在する。後極部には変化が認められない。」とされた。

(2) 2期の説明の末尾の「認める。」を「認めることがある。」とされた。

(3) 3期の説明に「この3期は、初期、中期、後期の三段階に分ける。初期はごくわずかな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に牽引性変化が加わつた場合とする。」が加えられた。

(4) 4期の名称が「部分的網膜剥離期」と改められ、その説明が、「3期の所見に加え、部分的網膜剥離の出現を認めた場合。」とされた。

(5) 新らしく「5期(全網膜剥離期)」を加え、その説明は、「網膜が全域にわたり完全に剥離した場合。」とされた。

(二) Ⅱ型について

Ⅱ型の説明が「主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、赤道部より後極側の領域で全周にわたり未発達の血管先端領域に異常吻合及び走行異常、出血などが見られ、それより周辺は広い無血管帯領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著明な蛇行怒張を示す。以上の所見を認めた場合、Ⅱ型の診断は確定的となる。進行とともに網膜血管の蛇行怒張はますます著明になり、出血、滲出性変化が強く起こり、Ⅰ型の如き緩徐な段階的経過をとることなく、急速に網膜剥離へと進む。」と改められた。

(三) 「混合型」を廃止し、「きわめて少数ではあるが、Ⅰ型、Ⅱ型の中間型がある。」と改められた。

六本症の予防法

未熟児は呼吸機能が未発達であるため、呼吸障害に陥り酸素不足のために死亡し又は脳障害を起こす危険がある。そこで、これを防止するために未熟児に酸素を投与することが必要であるが、他方では前記のとおり酸素投与が本症発症の誘因になることから酸素投与を制限すべき要請があつて、この「生命・脳か、眼か」という二律背反の要求を調整するために、未熟児に対する酸素療法の基準をどのようにすべきかについて研究が重ねられてきた。昭和四〇年頃までは、未熟児に対する酸素投与を必要最小限度に止め、保育器内の環境酸素濃度を四〇パーセント以下に保つことが主張され、この見解が支配的であつた。しかし、同年頃以降、保育器内の環境酸素濃度を四〇パーセント以下に保つた場合にも本症が発症している例が報告されるとともに、他方では未熟児の死亡や脳性麻痺の発生も問題とされ、結局、未熟児に対する酸素投与は濃度四〇パーセント以下にすることを基本としつつ、児にチアノーゼや呼吸障害がなくなつた場合には酸素投与を中止すること、他方環境酸素濃度を四〇パーセントにしてもチアノーゼや呼吸障害が消失しない児に対しては、それが消失するまで環境酸素濃度を上昇させ、これによつて死亡や脳性麻痺を防ぐべきである(特にIRDSには注意を要する。IRDSは原因の明らかでない新生児の呼吸障害の総称で、未熟児の死因の第一位を占め、肺胞の拡張不全に伴う呼吸困難とチアノーゼを主徴とする疾患である。生後数時間以内に末梢性呼吸障害が起こり、生後一二ないし三六時間に最も激しくなる。多くは二日以内に死亡する。IRDS患児は深刻な低酸素症に陥つているので高濃度の酸素投与が不可欠である。)との見解が次第に多数説となつた。なお、酸素投与を中止する場合には、直ちに中止すべきではなく、酸素の量を徐々に減じていくべきであるとする説が一時期有力に唱えられたが、この見解は昭和四〇年代後半以降次第に支持されなくなつた。そして、児の呼吸機能の状態如何によつては、児の網膜内のPaO2値が保育器内の環境酸素濃度と必ずしも相関関係にあるとはいえないため、近年では、採血によつて児のPaO2値を測定して、これを基に保育器内の環境酸素濃度を調節する方法が行なわれるようになつた。前記のとおり、昭和四六年アメリカ合衆国小児科学会は、PaO2値を六〇ないし八〇ミリHgに保つことを勧告し、我国においても右基準が参考にされている。しかし児のPaO2値は時々刻々変化するものであり、他方、児から頻回に採血することも実際上不可能なことであり、また昭和五〇年山内逸郎によつて経皮的酸素分圧測定法が提唱されたが必ずしも普及するに至つていない。結局、臨床上、一般には、時々採血によつて児のPaO2値を測定しながら、全身的なチアノーゼを目安にして酸素投与量を調節することが行なわれている。

七本症の治療法

1  本症の治療法として、ビタミンEや副腎皮質ホルモン剤等の薬物療法が一時期主張されたことがあつたが、有効性の証明がなされず、現在では採用されていない。

2  光凝固法、冷凍凝固法

(一) 光凝固法は昭和三〇年代から成人の網膜剥離等の予防、治療に用いられていたが、天理病院の永田が昭和四二年に本症二例に右方法を試み効果を収め、これを契機に永田をはじめ他の研究者らも追試を行ない好成績を挙げ、また、東北大病院の山下由紀子らが昭和四五年一月から本症に対し冷凍凝固法を試み治療に成功した。そして、右各方法は本症の治療法として次第に用いられるようになつた。

光凝固法は、薬液の点眼によつて充分散瞳を行ない、眼球の局所麻酔を行なつた上、小児用開瞼器で開瞼し、球結膜を固定器具又は制御糸で固定して行なわれる。凝固部位は、網膜内の血管増殖部とその周辺の無血管帯で、その境界線を中心に行なう。右部位を目がけて光凝固装置によつて、カーペット爆撃状又は飛び石状に光線を打ち込む(凝固部位を移動するには眼球を回転させる。)。冷凍凝固法は右光線の代わりに網膜用冷凍ペンシルを用いるものである。

右各方法によつて、それまで異常増殖していた新生血管を破壊してその数を減じ、網膜血管発育過程における異常を矯正するものとされている。

(二) しかし、光凝固法によつて本症が治癒したとして昭和四三年以来報告されてきた多くの症例が、自然治癒の可能性が大きいⅠ型の本症であつたため、右治癒が果して光凝固法によるものか或いは自然治癒によるものか疑問であるとの批判的見解も出され、また、右各方法は、未熟な網膜に対して強力な光線又は冷凍によつて侵襲を加えるものであり、網膜に永久的瘢痕を残すことから、将来後遺症が発生する不安もあり、この点がまだ未解明であることなどの問題点も提起され、右各方法の安易な濫用は慎まなければならないとして反省が加えられ、右治療法の適応の範囲が当初よりは狭められてきた。

(三) そして、昭和四九年度研究班報告は、本症の治療には未解決の問題点がなお多く残されており、現段階で決定的な治療基準を示すことは極めて困難であるが、進行性の本症活動期病変が、適切な時期に行なわれた光凝固法又は冷凍凝固法によつて治癒しうることが多くの研究者らの経験から認められているとして、次のような一応の治療基準を示した。但し同基準が真に妥当なものであるか否かについては更に今後の研究をまつて検討する必要があるなどの留保が付されている。

(1) 治療の適応と時期

(ア) Ⅰ型の場合

自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行する。すなわち、2期までの病期のものに治療を行なう必要はない。3期において更に進行の徴候が見られる時に初めて治療が問題となる。但し、3期に入つたものでも自然治癒する可能性が少なくないので、進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。

(イ) Ⅱ型の場合

Ⅱ型は極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、症状が異常な速度で進行するので綿密な眼底検査を可及的早期に行なうことが望ましく、無血管領域が広く全周に及ぶ症例で、血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合には直ちに治療を行なうべきである。

(2) 治療の方法

良好な全身管理の下に行なうことが望ましく、全身状態不良の際は生命の安全が本症の治療に優先する。

(ア) Ⅰ型の場合

無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し後極部附近は凝固すべきではない。無血管領域の広い場合には、境界領域を凝固し、更にこれより周辺側の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

(イ) Ⅱ型の場合

無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に充分な注意が必要である。

(四) しかし、重症の本症、特にⅡ型の本症については、光凝固法、冷凍凝固法による治療にも限界があるとされており、最近では、本症を原因とする失明児のほとんどが光凝固法による治療を受けたにもかかわらず失明に至つたものであることが報告されている。このような事情に加え、光凝固が児の網膜に将来いかなる影響を与えるか不明であり、Ⅰ型の本症が自然治癒傾向の強いものであることに照らし、Ⅰ型には光凝固法の実施は不要であり、Ⅱ型についてはより有効な治療法が開発されるまで緊急避難的に実施すべきであるとする見解も見られる。なお、冷凍凝固法は装置が安価ではあるが、凝固の強さ、部位、大きさを正確にコントロールするという点では、光凝固法に劣ると考える研究者もある。

八眼底検査

未熟児に対する定期的眼底検査の必要性は、昭和三九年以来植村恭夫らが提唱してきたが、治療法との結びつきにおいて臨床的重要性を有するに至つたのは、治療法として光凝固法が登場した昭和四三年以降である。

眼底検査は薬液の点眼により充分な散瞳を行なつた後、小児用開瞼器で開瞼し、倒像検眼鏡やボンノスコープを用いて行なわれる。眼底検査は、未熟児の眼底の未熟度の判定、本症の活動期の病変の早期発見と本症の進行経過の観察、Ⅰ型・Ⅱ型の判別等を行ない、これに基づいて光凝固法又は冷凍凝固法を実施する必要性の有無、実施の適期を判断すること等を目的として行なわれるものであり、生後できるだけ早期に遅くとも三週以降に開始することが妥当とされ、昭和四九年度研究班報告は、定期的眼底検査の頻度について、生後満三週以降一週一回、三か月以降は隔週又は一か月に一回六か月まで行ない、発症を認めたときは必要に応じ隔日又は毎日眼底検査を実施し、その経過を観察することが必要であるとしている。

第五被告の責任の成否について

一担当医師の過失について

1  人の生命及び健康を管理すべき医療行為に従事する医師は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。

右医療水準が確立するには、専門的研究者が仮説を提唱し、同仮説が種々の追試を経て有効性が確認され、学会、医学文献、研究会等を通じて臨床医学分野の医師に認識され、人的・物的設備が整えられ、医療技術が取得され、定着することが必要である(但し、具体的事案において、担当医が当時の医療水準を超える知識、技術を有していた場合には、当該医師の過失判断に当つては、右医療水準だけでなく、当該医師の知見の程度、医療環境等をも考慮した具体的医療水準を基準とすべきである)。

2  本件診療当時(昭和四六年一〇月から昭和四七年二月まで)における医療水準

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一) 酸素投与の基準

本件診療当時に出版された医学文献類の中で、未熟児保育を担当する産科医、小児科医を対象とした文献上、本症との関係を念頭に置いた酸素管理に関する指針、基準を総括すると次のとおりであり、右知見は一般の臨床の産科医、小児科医の間に普及し、臨床医学の実践における医療水準に達していた。

(1) 未熟児に酸素を過剰に投与すると本症が発症する危険がある。

(2) 出生直後の数日間を除いては、未熟児に対してルーチンに酸素を投与すべきではない。

(3) 未熟児に対する酸素投与は、濃度四〇パーセント以下に保つことを原則とする。

(4) 未熟児にチアノーゼや呼吸障害が消失した場合には、投与する酸素濃度を少なくとも徐々に下げていく(この点に関しては、酸素投与を速やかに中止するという見解と徐々に酸素濃度を下げていくという見解があい半ばしていた。)。

(5) 保育器内の酸素濃度を四〇パーセントにしてもチアノーゼや呼吸障害が消失しない児に対しては、それらが消えるまで酸素濃度を高める。

(6) 酸素投与中は一日数回保育器内の酸素濃度を酸素濃度計によつて測定する。

(二) 光凝固法

(1) 天理病院の永田らが昭和四二年三月及び同年五月にオーエンスの分類の活動期Ⅲ期に入つた本症の各一例に対し、初めて光凝固法を実施し、本症の進行を停止させることができた。同人は、これを同年秋の第二一回臨床眼科学会で報告し、同報告は昭和四三年四月発行の「臨床眼科」二二巻四号(乙第三七号証)中に論文として発表し、光凝固法が本症に対する有力な治療法となる可能性がある旨提唱した。同人は、同年一〇月発行の「眼科」一〇巻一〇号(甲第三八号証)にも同様の発表をし、また、昭和四四年秋の第二三回臨床眼科学会で右二例の後に行なつた四実施例を追加報告し、同報告は昭和四五年五月発行の「臨床眼科」二四巻五号(甲第三九号証、乙第四一号証)に発表された。また、同人は同年一一月発行の「臨床眼科」二四巻一一号(甲第三号証、乙第八五号証)や昭和四六年三月発行の「小児科臨床」二四巻三号(甲第七六号証)などにおいても光凝固法の紹介をした。

(2) また、昭和四四年から昭和四六年頃にかけて、関西医科大学附属病院(塚原勇ら)、県立広島病院(野間昌博)、九州大学医学部附属病院(大島健司)、名古屋鉄道病院(田辺吉彦ら)、国立大村病院(本多繁昭)、兵庫県立こども病院(田渕昭雄)、名古屋市立大学附属病院(馬嶋昭生ら)、鳥取大学医学部附属病院、徳島大学医学部附属病院、松戸市民病院等で光凝固法の追試がなされ、一部の症例を除いては、適期の実施によつて良好な結果を得た。

(3) そして、本症に対する光凝固法の効果について、本件診療当時までに発行されていた医学文献類においては、次のような評価がなされていた。

(ア) 昭和四五年二月発行「小児外科・内科」二巻二号(岩瀬帥子ら、甲第四八号証の一、乙第一〇号証)

最近光凝固法が提唱されているが、我々は症例を経験していないので価値を論ずることはできないとする。

(イ) 同月発行「臨床眼科」二四巻二号(関東労災病院深道義尚ら、甲第五四号証、乙第一一九号証)

第一回光凝固研究会報告記。光凝固法は成人の各種網膜脈絡膜疾患に用いられているとともに本症などに対しても画期的な治療法となつているとする。しかし、同時に光凝固装置は開発されてまだ日も浅く使用範囲も多岐にわたるため疾患ごとの適応基準や使用方法に関する情報の集積が充分でなく、各人がそれぞれ試行錯誤を繰り返して行方を模索しているとの感が深いとし、そのために今回の研究会を開催した旨説明している。なお、同研究会は光凝固法の理論的説明や臨床的使用方法等に関する講習会であり、出席者は希望者の中から選ばれた全国各地の眼科医、研究者合計三〇名であり、東北地方からは東北大学から二名、岩手医科大学から一名が出席した。なお、追加講習(出席者九名)も行なわれた。

(ウ) 同年七月発行「小児科」一一巻七号(植村恭夫、乙第一二一号証)

本症の活動期の初期症状を捉えた場合眼科医としては早期に副腎皮質ホルモン、ACTHによる療法を開始するか、永田らの光凝固法を行なうか、しばらく経過をみるかの決断に迫られる、活動期Ⅲ期以降に進んだ場合には薬物療法、光凝固法ともに無効であるとする。

(エ) 同年一二月発行「日本新生児学会雑誌」六巻四号(右同人、甲第四号証、乙第二八号証)

光凝固法によつて本症は早期に発見すれば失明又は弱視にならずにすむことがほぼ確実となつた、したがつて、未熟児の眼底管理を普及徹底するとともに、光凝固法による治療を可能ならしめるための麻酔医、産科医、小児科医と眼科医の密なる連携を作るように努力すべきであるとする。

(オ) 昭和四六年三月発行「小児外科・内科」三巻三号(右同人、乙第一二三号証)

光凝固法の登場により、より有効な治療の武器が与えられ、難治の本症にもその前途に光明が与えられるに至つた、現在、本症による失明を救う最良の方法は光凝固法以外にはないと考えられるとする。

(カ) 同年四月発行「臨床眼科」二五巻四号(塚原勇ら、甲第六七号証、乙第九三号証)

これは昭和四五年秋の第二四回日本臨床眼科学会における講演の内容を掲載したもので、永田の提唱に従い、光凝固法の追試を行なつた結果を報告し、結論として、光凝固法を適切な時期に行なえば本症の病勢進展阻止に極めて有効であるとする。

(キ) 昭和四六年八月印刷「新生児の脳と神経・新生児学叢書Ⅷ」(関西医科大学教授松村忠樹、乙第三八、第一二四号証)

光凝固法により病勢の進行を阻止し得た症例があることが報告されていることを紹介しつつ、着想は興味深いが症例数も少なく、術後の観察期間も短いので、治療法としての価値の判定はさらに今後の問題であるとしている。

(ク) 同年九月発行「日本眼科紀要」二二巻九号(大島健司ら、甲第五五号証、乙第四二号証)

本症に対し光凝固法を実施して好結果を収めたとする。

(ケ) 同年一〇月発行「季刊小児医学」四巻四号(奥山和男、甲第五三号証、乙第一二六号証)

光凝固法が本症に対する有効な治療法であることが各施設で確認された、各地区ごとに光凝固装置を備えている病院を中心に本症治療のネットワークを作るべきであるとする。

(コ) 同年一一月発行「日本小児科学会雑誌」七五巻一一号(右同人、乙第一二七号証)

光凝固法が現在唯一の有効な治療法であることが各施設で確認され、本症の前途に明るい光が投ぜられた、光凝固装置は高価であり、すべての未熟児施設に備えることは困難であるが、各地区ごとに本装置を備えている病院を中心に本症の治療組織が出来上がることが望まれるとする。

(サ) 同月発行「現代医学」一九巻二号(田辺吉彦、甲第五六号証)

確実な治療法として光凝固法と冷凍凝固法を紹介し、但し、これらにも限界があり、一定以上に進行した症例には効果が期待できないとする。

(シ) 同月発行「現代産科婦人科学大系20B新生児学各論」(植村恭夫、乙第四三号証)

現時点においては本症の確実な予防法又は治療法はないとして、治療法として活動期初期(第1、2期)に副腎皮質ホルモン、ACTHの全身投与が行なわれているが、手術療法として光凝固法が用いられるとする。

(ス) 昭和四七年一月発行「眼科臨床医報」六六巻一号(本多繁昭、甲第六八号証、乙第一〇一号証)

本症に対し光凝固法と冷凍凝固法を実施して好い成績を上げたとし、今後最も大切なことは、これらの凝固例がどのような経過をとるかということであるとする。

(4) 右(1)ないし(3)の状況及び前掲各証拠を総合すると、本症に対して関心を持つ眼科の先駆的研究者の間においては、光凝固法に対して一部に慎重論はあるものの、永田以外の研究者らによつても本症に対する治療法として有効であるとの評価が与えられつつあり、光凝固法を有効な治療法であると支持する有力な研究者らによつて、未熟児医療に関連する各科間の協力や光凝固装置を備えている病院を中心に転医等も含めた本症に関する治療体制を整備する必要性が提唱され、これらの見解を一般臨床医に対しても普及させる努力が始められつつあつたと認めることができるが、右知見が未熟児保育に携わる一般臨床医に定着していたとまでは認めることができず、本症に対する治療法としての光凝固法の実施や実施のための転医が、本件診療当時の臨床医学の実践における医療水準に達していたとはいえない状況であつた。

(三) 冷凍凝固法

同方法は、東北大病院の山下由紀子、佐々木一之らによつて昭和四五年一月から本症に対して初めて実施されたが、右方法が文献上登場したのは、昭和四六年「臨床眼科」二五巻(佐々木一之ら)、右(二)(3)(ス)の文献及び昭和四七年三月発行「臨床眼科」二六巻三号(山下由紀子、乙第四五号証)であつて、本件診療当時臨床医学の実践における医療水準に達していたものとは認めることができない状況であつた。

(四) 光凝固法及び冷凍凝固法をめぐる状況が右のようなものであつた以上、一般臨床医に本症に対する治療法として右各方法について説明することを期待することも無理な状況であつた。

(五) 眼底検査

本症に対する眼底検査は、対象が取扱い困難な未熟児であるうえ、本症を的確に診断することができるようになるには、適切な指導者の下で相当期間、多くの未熟児の眼底を観察し、本症が発症した多くの症例に当つて、教育、訓練を受けることを要するため、人的物的な整備期間を必要とする。

このような事情のために、本件診療当時においては、本症を早期に発見してこれに有効な治療方法を施すことを目的とする定期的眼底検査の実施は、前記(二)(2)の各病院のような一部先駆的医療機関に限られていたのであつて、臨床医学の実践における医療水準に達していたとは認められない状況であつた。

県立医大病院においても本件診療当時、定期的眼底検査は行なわれておらず、それが行なわれるようになつたのは昭和四九年以降であつた(原告は、本件診療当時県立医大病院において未熟児に対する眼底検査を実施していた旨主張するが、弁論の全趣旨によれば、それは、具体的に眼の異常を訴えて受診した患児に対して個別的に行なう眼底検査にとどまることが認められる。)。

(六) なお、本件診療当時、産科医小笠原や小児科外来担当医が右各医療水準を超えて、未熟児に対して定期的眼底検査を実施すべきものとの知見や本症に対して光凝固法や冷凍凝固法を実施すべきものとの知見を有していたことは窺われない。

3  産科医小笠原の酸素管理についての注意義務及び過失の有無

前記認定の本件診療当時の医療水準に照らすと、小笠原は、原告幸雄に対し酸素を投与するにあたり、毎日保育器内の酸素濃度を酸素濃度計によつて測定しながら、チアノーゼや呼吸障害が消失しない場合を除き、保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以下に保ち、チアノーゼや呼吸障害が現われなくなつた場合には、酸素濃度を少なくとも徐々に下げていくべき注意義務があつたというべきである。

そして、<証拠>によれば、原告幸雄が収容された本件保育器は、被告病院が昭和四一年八月に設置したサンリツH二八三型であり、乙第三号証の一(診療録)によれば、同保育器は、酸素流量が毎分六リットルの場合同保育器内の酸素濃度が約四〇パーセントないし約四五パーセント、同じく毎分三リットルの場合約三八パーセントの酸素濃度であつたことが認められる。この点について、被告は、医師や看護婦が保育器の紋り付き処置窓から手を挿入して未熟児に対して種々の診療、看護行為を行なうので、その操作の度に外部から保育器内へ空気が流入するうえ、高温、高湿のために本件保育器にひび割れが生じていたので、内部の酸素濃度は右数値よりも低かつた旨主張し、証人小笠原や証人木村和子もこれに沿う証言をしている。しかし右証言のようなより低い数値を認めうべき具体的な証拠は皆無であり、右乙第三号証の一(診療録)に記載された酸素濃度は、むしろ右のような具体的な診療、看護行為を前提とする実践的、臨床上の数値と解するのが合理的であつて、右各証言はにわかに措信し難く、他に前記認定を覆えすべき証拠はない。

そこで、前記第三、二、1(一)ないし(二六)においても認定した小笠原の酸素投与について、その過失の有無を判断するに、前記認定事実によれば、原告幸雄にチアノーゼが認められる状態にあつた昭和四六年一〇月二〇日から同年一一月一四日までの酸素投与については、医師の裁量の範囲を逸脱した措置であつたとまではいうことができないが、同月一五日(生後二七日)以降は右チアノーゼが消失し、また呼吸障害があつたことも窺われないから、小笠原は同日以降酸素濃度を少なくとも徐々に減じていくべき注意義務があつたというべきである。それにもかかわらず同人は同日以降同月二七日(生後三九日目)まで合計一三日間に亘り依然として流量毎分六リットルすなわち濃度約四〇パーセントないし約四五パーセントの酸素を投与し続け、さらに同月二八日(生後四〇日目)から同年一二月一〇日(生後五二日目)まで合計一三日間(但し、同月八日から同月一〇日までは夜間のみ)に亘り流量毎分三リットルすなわち濃度約三八パーセントの酸素を投与し続けたもので、この点で右注意義務を怠つた過失があるといわざるを得ない。

二産科医小笠原の酸素投与行為

と原告幸雄の失明との因果関係

前記認定のとおり、本症は、網膜血管の未熟性を素因とし網膜内のPaO2値の上昇を重要な誘因として発症するもので、酸素投与が後者の原因となり、また在胎期間が短い未熟児ほど網膜血管の未熟性が強く、本症は疫学的には、生下時体重二〇〇〇グラム以下の未熟児、殊に生下時体重一五〇〇グラム以下在胎週数約三二週(八か月)以下の極小未熟児に多く発症し、環境酸素濃度が高く、酸素投与期間が長い程その発症の可能性が高くなるものであるところ、前記認定のとおり、原告幸雄は在胎八か月の早産による生下時体重一六五〇グラムの未熟児であつたこと、同原告の体重がその後一旦落ち込んだものの昭和四六年一一月八日にはすでに生下時体重に回復し以後順調な増加をし、また同月一五日にはチアノーゼが消失したにも拘らず(なお、チアノーゼが存続する限りは危険なく酸素治療を行なうことができるとの見解もある((産婦人科治療二二巻五号五二九頁、甲第四四号証)))、その後もなお過剰というべき酸素を長期間(濃度約四〇ないし約四五パーセントの酸素を同月二八日まで、約三八パーセントの酸素を同年一二月一〇日まで)に亘つて投与されたことに徴すると、同原告の本症は、同原告の網膜血管の未熟性を素因としつつも、小笠原によつてなされた右過剰・長期間の酸素投与によつて同原告の網膜内PaO2値が基準値を超えて上昇し、これが長期間継続したため、これを重要な誘因として発症したものと推認するのが妥当である。そして、原告幸雄の失明は本症によるものであることは前記認定のとおりであるから、小笠原の前記過剰・長期間の酸素投与行為と原告幸雄の失明との間には相当因果関係があるというべきである。

三被告の責任

証人小笠原の証言によれば、本件診療当時、被告病院は小笠原を産科担当医として雇用していたことが認められ、小笠原の右酸素投与行為は、被告の事業の執行としてなされたものである。そうすると、原告らが主張する被告の担当医師らのその他の過失の有無について論ずるまでもなく、被告は右酸素投与行為によつて原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

第六原告らの損害

一原告幸雄の損害

1  慰藉料

原告幸雄は、本症によつて両眼を失明し、一生涯光を見ることができない生活を送ることを余儀なくされたもので、行動の制約、就職の制限等その精神的苦痛は大きいと認められるが、他面本症の一原因が早産にあること、小笠原の前記過失の態様、その他一切の事情を総合すると、同原告に対する慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

2  逸失利益

原告幸雄が昭和四六年一〇月一九日出生の男子であること、同原告が本件診療における酸素投与によつて本症に罹患し両眼失明の傷害を受けたことは前記のとおりであり、同原告の労働能力喪失率は一〇〇パーセントであると言うべきである。そして、同原告は、右失明に至らなかつたならば、満一八歳から満六七歳までの四九年間稼働し、平均的な男子労働者と同様の収入を取得しうることが推認される。

当裁判所に顕著な労働大臣官房労働統計調査部編集の昭和四六年賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者全年令平均給与額は月額七万六九〇〇円、年間賞与その他の特別給与額は二四万九四〇〇円であるから、これらを基礎に新ホフマン係数によつて原告幸雄の逸失利益を算出すると、金一九二四万六五八六円となる。

計算式

(76,900円×12月+249,400円)×16.4192=19,246,586円

ところで、前記のとおり本症が網膜の未熟性を素因とし、網膜内のPaO2値の上昇を誘因として発症し、酸素投与が後者の原因となることに照らすと、未熟児であつた原告幸雄の網膜の未熟性が前記傷害発生の一因となつていることは否定できないのであつて、この点を考慮すれば、公平上、原告幸雄の逸失利益を全額被告に負担させることは妥当でないと言うべきである。そして、本症の発生原因、担当医小笠原の前記過失の内容、原告幸雄の未熟度と発育経過等を総合考量すると、右小笠原の過失が原告幸雄の両眼失明に寄与した割合は五割と解するのが妥当である。したがつて、被告は、原告幸雄の右逸失利益の五割に相当する金九六二万三二九三円について賠償すべき責任を負うと言うべきである。

3  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告幸雄は弁護士を訴訟代理人として本訴を提起するのやむなきに至り、その費用として金五〇万円の支出を余儀なくされたことが認められる。そして本件記録に顕われた本件訴訟の経過等諸般の事情に徴すると、右金五〇万円をもつて、本件過失と相当因果関係のある損害と認める。

二原告ツヤコの損害

1  慰藉料

原告ツヤコ本人尋問の結果によれば、同原告は母親として原告幸雄を出産した喜びもつかの間、日夜同原告の介護をなさなければならない身となつてしまつたことが認められる。右事実のほか、前記第六の一の1の諸事情を勘案すると、原告ツヤコの慰藉料は金二〇〇万円が相当である。

2  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告ツヤコは弁護士を訴訟代理人として本訴を提起するのやむなきに至り、その費用として金三〇万円の支出を余儀なくされたことが認められるが、本件記録に顕われた本件訴訟の経過等諸般の事情に徴すると、そのうち金二〇万円をもつて、本件過失と相当因果関係のある損害と認める。

第七結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、原告幸雄において金一五一二万三二九三円、原告ツヤコにおいて金二二〇万円及び右各金員に対する不法行為の後である昭和五〇年一〇月二八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においていずれも理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林茂雄 裁判官山口 忍 裁判官寺内保惠)

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